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本気のニートについて考える

 起業準備中の友人が「(自営業を)本気でやらないと無職と変わらん」という話をしていて、ぼんやりと考えたことをつらつらと書いてみます。ご本人は、自分が本気でやるのだとおっしゃっていたのですが、個人経営の学習塾を立ち上げたばかりの私には耳の痛い話といいますか、「お前は本気で仕事しているのか」と言われているようで、まだ努力が足りないといえば足りない気がしてなんだか叱られた気がしました。しかし「本気でやる」という抽象的な表現をどのように解釈していいのかわからなかったので、それに関して私には特になにも返す言葉がありませんでした。最近の私は「本気でやる」という抽象的なことをなるべく言わないようにしているからです。本気の無職っていないのかな?とか、ちょっと引っかかりどころもあり…。とはいえ、友人はとても親切で努力家であり、友達も多くいわゆる「いい人」なのです。だから、まったく批判的な感情でこれを書いていることではないことだけは断っておきたいと思います。

本気でやることという言葉はときどき人を混乱させる

 私は過去に、つい「本気でやってください」みたいなことを言って生徒を怒らせてしまい、確かによくなかったなと反省したことがありました。とても優秀な生徒さんだったのに。今ではできるだけ「何ページから何ページまでをいつまでにやってください」とか、「ここを覚えてください。試験に出やすいから」という言い方をするようにしました。「本気でやれよ」と言うのは簡単だけど、最近サボりがちな人でもそれなりに本気で悩みながらも何をしていいのかわからない人が多いのではないかと思うようになりました。我々は当たり前のように、何度も説明をしたのだからわからないとか覚えられないというのは甘えなのではないかと思ってしまいますが、意外に「わかったり」「覚えたり」するにはその前段階の知識が必要で、その知識が不足しているとかなりしんどい思いをするし、時間もかかるし、そもそもそんな苦行を続けていけるほど人間は強くできていないのです。

フリーターはニートよりも就業しているだけましという考え方は危険

 私は、非正規雇用で働いていた経験が長く、「就業しているだけまし」と思っていました。つい最近まで。しかし、よく考えるとニートにもいろいろあって、海外なんかに行くと、家が裕福で海外を転々と語学留学したり旅行に行ったりしている人たちもいらっしゃるのです。語学留学は就学しているのでニートとも違うのですけど一応無職といえば無職。それを、就業はしているけど非正規でほとんど対価に見合わない労働をしている人と比べるのも何か違う気がします。非正規でも、スキルを蓄積できる雇用ならいいのですが、誰にでもできる仕事を朝から晩まで繰り返しているだけなら思考停止のような気さえします。無策のフリーターより本気で将来を考えるニートの方がいいのではなかろうかと。

情弱になってはいけない

 我々はなぜ学ぶのか。学び方を学ぶ。そして考える。身体を使って日銭を稼ぐことより、頭を使えるようにならなければならない。知識や情報があれば、搾取されたり騙されたり操作されることが少なくなるはずなのです。最近、炎上していたレペゼン地球のDJ社長が、随分前ですが経営に関する長い動画を上げていらっしゃいます。「頑張る方向性を間違ってはいけない。遠くに行くのに一所懸命自転車を漕ぐくらいなら原付の免許を取りに行った方がいい」と。その話をしている動画は若い人たちにも経営というのがどういうことなのか、少しわかる動画だと思います。集客の難しさや人脈の大切さを面白おかしく語っている真面目な動画です。基本的に会社を経営するということは、支払いを先にしてより多くの利益を回収するというシステムなのです。

まとめ

 本気のニートは汗だくで自転車を漕がない。原付の免許を取っている時点で少なくともニートの枠組みから外れるのかもしれないけれど。