つらい思いをすること=努力ではない

 眠いのに我慢して遅くまで起きて宿題することとか、誰かに何かを言われて傷ついて勉強がおろそかになってしまうこととか、本人は「こんなにつらい思いをしている自分は我慢強い。えらい」と思うでしょう、でも、それはあまり意味のない努力です。頭が働かないほど眠いのに宿題が終わらないからだらだら起きてやるぐらいなら、答えを写して早く寝た方がいい。学校はみんなのレベルに合った宿題を出すことができません。そんなに時間がかかる宿題はそもそもレベルが合っていませんから。そして、誰かに傷つけられても、それに振り回されて何も手に付かないのは時間の無駄。傷つけた人はきっと何とも思っていないでしょう。傷つけられることに耐えるのが努力ではなく、傷つけられたことを忘れるのが努力の健全なあり方だと思います。

 なぜなら、それは「自分のためになるから」です。自分のための努力が将来の自分を救い、乗り越えられた自分を強くするのだと思います。

言われた通りにやることは大事。でも、それは自分のためになること?

 先生が言ったことや親が言ったことに従うことは大事です。それは、その道の専門の人や人生経験豊富な大人が良かれと思って言っていることだから。しかし、人間は完璧ではないですし、自分には当てはまらないことってあると思うんです。人それぞれ、個性があって誰一人同じではないですし、先生や親世代とは生きている時代にズレがあります。ちょっと古い時代の常識は今の常識と重なる部分と重ならない部分があります。では、どうすればいいのか。考えるのです。自分の頭で考えて自分の考えで行動することです。他人を変えることはできませんから、自分の考え方を変えるのです。難しいけどね。他の人に従うことは楽ですけど、自分のために言ってくれたから従うべきと本気で思っていますか?自分のためを思ってくれていると考えるから苦しいのなら、それは自分のために思ってくれているのではないということだと思いますよ。相手は罪悪感を植え付けて支配しようとしているだけかもしれません。そういうのは、「依存」だと思います。「自由」とは案外「不自由」なのかもしれません。「自由」を勝ち取るには、ちょっとだけ「勇気」が必要だからね。

「努力はレッドオーシャン」

 「レッドオーシャン」という言葉は、もともと経営戦略に関する用語なのであまり中高生ぐらいの人たちには馴染みのない言葉だと思います。「レッドオーシャン」とは、血で血を洗う争いで赤く染まった海のことを意味します。要するに、競合が多い、みんながやっていることで争っても勝てないということなんです。「がむしゃらにやる」ということは素晴らしいんですけど、やり方がまずかったりみんなと同じようにやっていては勝てないっていうことです。

 「努力して上を目指しましょうというのを美徳とされるけど、一所懸命やることはレッドオーシャンですよ」みたいなことを落合陽一氏も言っています。そう、よく考えて効率よく学んだり視点を変える必要があるのです。たとえば、勝てない場所では(みんながやっているようにやっていたって)勝てないということ。効率よく学ぶことは、先生が言ったこと、親が言ったこと、友達が言ったことを考えなしにやることではありません。自分の頭で考えて、自分に合った方法でやるのです。そのためには、ある程度自分でいろいろやってみることが大事なんです。

 結局、なんだかんだで自分でやってみないといけないんですけど、それは「自分に合った方法を探すこと」「自分のための生き方を探すこと」にあてられるべきで、何も考えずにだらだらやることに時間を割くことではないんですよね。

 結局、努力だけでは評価されないのです。「結果がすべて」それが受験であり、世の中ってもんなんじゃないでしょうか。

 

外国人の外国人っぽいところ

 今日は、台湾人の友達が「真珠茶」なるものを大きな鍋で煮込んでいるのをインスタグラムにあげていまして、「なんだろう?」と思った私は尋ねてみました。彼は、奥さんと3人の息子と一緒に暮らすとても家族思いのパパで、一時期はイタリアン・シェフを目指していただけあって、休みの日には家族のために簡単なものを作ってあげているようです。「パール茶?」「普洱茶?」ネットで調べた結果、「タピオカ」のことでした。外国人は流行りのものを買ってくるのではなく、何か材料を買ってきて自分で作ることが多いです。

 ヨーロッパでも、ちょっと家のものが何か壊れると大工さんに頼む前に、まずはDIYでお父さんが直すことが多いようです。私が塾の内装を業者さんに頼むと言っていたら「なんで自分でしないの?」とイギリス人に不思議がられました。そりゃー、できるものなら自分でするでしょう。私は不器用なんだから。

 それを考えると、台湾の友人もとりあえず自分でなんでも作っちゃう人だなぁと思いました。日本では、どちらかというと「買った方が安い」とか「自分でやる時間がない」とか、そういう感じだと思いますけど。

 私は、なんでも自分で作ってみたり修理したりしている人を見ると「外国人みたいだなぁ」と思うのでした。みなさんは、どうなんでしょうかね。

 

【My Accent】を試した結果

 

 アメリカン37%、ブリティッシュ63%となりました。これは、私にとって今までで一番ブリティッシュ度が高い結果となっております。My Accent  というサイトは、英語学習者なら大抵の人は知っている、AtsueigoのAtsuさんが紹介されていました。誰でも無料で試すことができるので何度かやってみました。私は、イギリスに行ったことはありますが、アメリカに行ったことがありません。しかし、現在日本に住んでいて、大抵の教材はアメリカ英語の発音とアクセントなので、こちらで聞いているのはアメリカ英語がほとんどです。アメリカン・アクセント80%ぐらいと認識されてしまったこともあったので、頑張ってちょっとフラットに喋ってみまして、今日はブリティッシュ・アクセント60%超えを果たしました。

もちろんアジア系の訛りはありますが…

 イギリス人に断言されましたので、アジア系の「一生消えないアクセントがある」と。だから、アジア系にほどよく訛っているとは思います。日本人の中では、それでもまあまあ訛りがきつくない方だと自負しているんですが。「ほんのちょっとよ」と慰めてもらったんですけど。そしたら「訛っている」と言った本人が「アメリカ人ほどじゃない」って。アメリカ人は訛っているという認識なのが、イギリス基準過ぎて笑えるんですけど。

 AtsueigoのAtsuさんの努力がすごすぎる。とても流暢ですし、ブリティッシュ・アクセントが90%超えだったんですよね。確か。とても、特徴を研究されているのか、アメリカ要素がほとんどないってことですよね。

 だって…

これは、イギリス人の結果です。

「やっぱりイギリス人だった」って。逆に、12%もアメリカン要素があったことに驚きました。私が聞いた限りでは、コックニー訛りみたいな独特なイギリス英語を話す人なんですけどね。

 

引きこもりを外に出そうとする愚

 児童生徒のひきこもりについて調べてみようかと思っていたら、ネット上では中高年の引きこもりが深刻だという内容で溢れていました。もう30年も引きこもっている人もいれば、年を取ってから引きこもった人もいらっしゃるようです。「趣味では外出する」という、「それは全然引きこもってないと思うよ」というレベルまであって、引きこもりの線引きも難しい気がします。疑問に思ったのは、「引きこもりをどうやって社会復帰させるか」という考え方を調査している内閣府が押し付けている感じがするところですね。引きこもって働けない人たちを無理矢理外に引っ張り出そうという考え方そのものがもう古くなってきているのではないかと私は思うのですが。

 学校にせよ職場にせよ、外向きの性格でなかったり、ちょっと他人と違う外見や考え方を持っていたら不利であることに違いありません。不利な場所で戦うのは、本人にとって何の得にもなりません。搾取する側、人を牛耳る側は引きこもっている人が外に出た方が都合がいいのでしょうけど。もう、その考え方も機械が活躍する時代になれば終焉を迎えるかもしれませんね。「戦い方を間違うな」ということでしょう。

 引きこもりは個性なのではないかと思うのですよ。外交的な人と内向的な人がいて、内向的な人はあまり外に出たがらなかったり、外に出たら傷つけられてひたすら我慢したり。たまたま、外で働くのが苦手なだけ。合わせるのが苦手なだけ。ただ、それだけなんじゃないかと。

引きこもっても稼げる術を

 今は、インターネットも発達していて何かひとつ抜きん出ている能力があれば、それを武器にネットを使って稼ぐこともできるのではないかと思います。技術と材料があれば、家から一歩も出ずに物を作ることもできるし、インターネット経由で売りさばくことも簡単にできます。ノウハウを学ぶことも書籍を買うことも借りることも容易にできるのではないでしょうか。引きこもりの人たちというのは、もともと社会に出て働いて我慢して疲れ果てた結果引きこもっているのに、また疲れる場所に引っ張り出すのが果たしていいのでしょうか。外に出て外で働くのが絶対いいのだと誰が決めたのでしょう。マルクスは資本主義を「働くものは儲からず、儲かるものは働かない」といいました。資本主義が『競争』を基本原則としている以上、強者と弱者に別れていきます。弱者は強者と戦うから弱者であって、強みを生かせる別の場所で戦う必要があるのではないかと思うのです。集団の中にあって負け続ける人は発想を変えて勝てる場所にさっさと移った方が健全なんじゃないでしょうかね。

学生である間に自分の売りになるものを身につけよう

 結果的に、稼げるようになるには、一日中夢中になれるものを見つけることが大事です。別に、夢みたいなことを言っているのではありません。今は大抵のものは安く手に入る世の中になりましたし、ちょっとのことでは人は満足しなくなりました。だからこそ、自分にしかできない何かを見つけて才能を伸ばしていく必要があるのです。好きなことと得意なことが一致すればいいのですが、なかなか好きなことでも上手に出来ない場合があります。そんな時は、好きなことよりまずは得意なことを仕事にした方がいいのです。嫌いではない得意な分野で稼ぎ、好きなことを他人より長期間続けることによって好きなことで稼げるようになったらいいのではないのかな。弱点を克服しようとして、時間ばかり無駄に使って得意なことまでダメにしないことが、これからの時代必要なんだと思いますよ。

まとめ

 引きこもりは家で楽しくスキルを磨く。それでいいと思うよ。

 

 

そろそろガリ勉のカッコよさに気づこう

 周りが勉強していないときに「自分だけ勉強する」「周りに合わせて勉強していないふりをする」さあ、あなたならどっちを選ぶでしょうか。周りが勉強していない時に自分だけ勉強すると浮いてしまうという話をときどき耳にしてきました。高1、高2の生徒さんは意外に時間的余裕があるので時間を無駄にしてしまうことがあるようです。周りが勉強していない時に学校ではまったく勉強しないふりをして塾や家でがむしゃらに勉強する人がたまにいるんですけど、受験期になると「もうカッコつけている時間ないんでどこででも勉強します」という風になるのです。周りが勉強していないときに「差をつけるチャンス」と思える人は当然「できる人」です。今ではもうあまりガリ勉なんて言わないのかもしれませんけど(昭和か)、なりふり構わず勉強した方がかっこいいです。そもそも、周りが誰も勉強しないという環境はかなり「痛い」と思った方がいいと思います。なぜならば、できない人と勉強すると作業効率が落ちるからです。

つらいことを我慢することが努力なのではない

 でも、つらいことは続けられませんよね。ならどうすればいいでしょう。楽しく勉強すればいいのです。私の母が誤解していたことには、学習塾に行って「楽しかった」というと、どんなに成績が伸びてもどんなに勉強しても「塾で遊んでいる。塾はやめなさい」と言われていました。勉強は苦しみながらすることではありません。むしろ楽しんでやらないと続けられません。しかし、勉強は勉強なので遊びのように毎回楽しんでできることではありませんよね。難しい勉強でも、楽しくなる方法はあります。それは、早期に成績を伸ばしてトップを経験することです。全教科がどれもトップから遠い場合、一番好きな科目一つに絞って伸ばした方がいいです。一日中勉強していられるような科目を時間をかけて集中的にやると成績は伸ばせるはずです。面白いゲームに共通する4つの項目の一つに「勝てること」とエリック・パーカーは著書の中で言っています。勝てない勝負はつまらないのです。だらだらやったふりをしてもいつまでも勝てません。範囲が狭いうちに勝てるゲームにしておいた方がいいです。そうこう言っている間に、受験を迎えますから。3年生になった頃にはかっこ悪いなどといっていられなくなって結果的に、時間的に間に合わなくなりかねません。

 

ガリ勉は得をする

 なぜ誰も勉強していない時に勉強すると得をするのか。目立つじゃないかと思われるかもしれません。でもそれがいいのです。目立つから、生徒の間でも目立ちますし、先生の間でも評判になります。成績が伸びなかったらかっこ悪いでしょうか。逆に、成績が伸びなかったら助けを借りやすいのです。友達が「あれだけ勉強しているのにできないやつ」なんて、笑うでしょうか。もしそうならそんな友達は友達ではありません。親友も先生も、一所懸命な人には手助けをしてくれるものです。勉強する人がそばにいてくれると、周りが変わります。周りも勉強する雰囲気に変わるのです。是非、そうやって自分から雰囲気を変えていってください。

まとめ

 人前で勉強する人はかっこいい。得意科目からやり始める方が挫折が少ないです。目立つほど勉強すると周りが変わります。そして先生にも好かれますし、助けてくれます。そうやって勉強を続けると、そのうち成績はあがるのです。勝てない勝負は勝つまでやればいいと思うよ。

 

 

模試の使い方を考える

 もうすぐ佐賀県では第2回県下一斉模試があります。当塾でも模試の過去問を使って対策し、模試の解き直しをして次の模試に備える方法を考えます。どのようにして学習していけば模試を有効に活用できるでしょうか。学習方法に正解はありませんが、あくまで一例として軽く読んでいただければと思います。基本的にセンター対策などにも応用できますので参考にしていただければ幸いです。

準備編

 はじめに、友達をたくさん用意します(笑)。なるべくたくさんいた方がいいです。できれば友達の友達のそのまた友達あたりまで声をかけて県模試の過去問を持っている人が友達にいないか尋ねます。この時点でかなり友達の輪が広がりました(笑)。あとは、友達の情報収拾能力に期待しましょう。本人が持っていたらラッキーですが、とにかく誰かが「それなら塾でもらった」とか「兄弟がファイリングしていた」とか「その辺に落ちていた」とかいうまでひたすら尋ねます。そして、見つかったらその友達には親切にしてあげて感謝しながら慎んでコピーを取らせていただきましょう。

 次に、目標点を決めます。それから、模範解答の配点を大問1〜6まで書き出します。そこに、目標点から確実に得点できそうな大問、自信のない大問などを考慮しながら点数を割り振っていきます。ここで、自分の描いていた漠然とした目標が明確な点数としてイメージできるはずです。さらに、時間配分を割り振っていきます。ここで、大抵の模試では前半に発音アクセント、文法、会話のような流れが確認できると思います。そして、配点を見ると最後の方にある大問5、6の長文の配点がとても高いことに気がつくと思います。過去問を見て時間が足りなくなる可能性があると思ったら、大問5、6から本番は解いていきます。大丈夫そうなら、頭から解きましょう。発音アクセントから5、6に飛んでもかまいません。時間を計って解くとどこで時間がかかるのかが大体わかると思います。一通り解いてみて、思ったほど点数が取れていなかったらどこに問題があるのかを見て対策していきます。

テストが終わったら

 どこで間違ったかをもう一度見直し、解き直しをします。学校によっては解き直しをして提出しないといけないところもあると思います。提出が終わったら、自分の復習用、後輩、兄弟姉妹のために問題用紙の書き込みを消してコピーをとって保存します。発音アクセントや文法問題はとても似ていますので、復習用にはとてもいいと思います。それから、県模試の英作文は同じ文法を問うものが数年連続で出ていることがあるので、持っておくと誰かのために役に立つでしょう。

まとめ

 模試は、過去問を解いておくとおかないとでは、結果がまったく違ってきます。だから、なりふり構わず過去問を持っている人を探してみましょう。

 試験とは、

 「人脈!」

 

  頑張りましょう。

 

 

NHKにフラメンコ・ギター

 「NHKをぶっ壊す!」と言って物議を醸している「NHKから国民を守る党」党首、立花孝志氏ですが、最近ではまたマツコ・デラックス氏の「一体これから何をしてくれるかで判断しないと、今のままだと単なる気持ち悪い人たちだから」という発言に対し、マツコ氏の出演する放送局におしかけて出待ちをするという形で応戦しました。賛否両論ありますが、「NHKの受信料徴収」に関しては、納得いかないところも多く、それに関しては立花氏の意見は筋が通っていると思われます。しかし、マツコ氏の「これから何をしてくれるかで判断しないと」というのは忘れてはいけないことですね。「NHKのスクランブル化以外の政策」が見えないからです。宗教じみているというマツコ氏の発言も、その聴衆の扇動の仕方がまさに宗教のそれっぽいということなのでしょう。「自民党をぶっ壊す」と言って人気を集めた小泉純一郎元総理のいわゆる「郵政選挙」が思い出されます。良し悪しはともかく、今日はその話ではないんです。前振り長いけど。今日は、「N国党」と同じようなことを言っていた科学の先生がいらっしゃったなぁというのを思い出したので、先生はお元気かなぁと思ってこれを書いています。

毒舌教授

 もう退職なさった先生なのですけど、とても風変わりな先生が昔いらっしゃいました。当時はコンプライアンス的に自由な発言をしてもかなり許される時代だったので、過激な発言を自由気ままになさっていて、大学ですのでアンチは履修しないけど、それでも大変人気がありました。私は、面白かったので履修していたのですけどね。さんざん毒をお吐きになるので近寄りがたく、私が授業で聞いたことを面白おかしく伝えるのを履修していない友達は毎回聞くのを楽しみにするぐらいでした。先生はフラメンコ・ギターを習い始めたのだと言って研究室でギターを披露してくださったこともあったのですが、ギターのことを熱く語っていらっしゃった時のこと、「うちにNHKの受信料の徴収員が来たらカミさんが俺を呼びに来るんだ」という話をしていらっしゃいました。

NHKにフラメンコ・ギター

 それで、その先生はNHKの人が受信料を徴収に来るとなんだかんだ言って支払いを拒否していらっしゃったようなのです。ある日、いつものように奥様から呼ばれ、いつものように追い返すために、とにかく払わないの一点張り。さらに、頭の回転が速く、口が達者で毒舌の先生にまくし立てられた挙句、かわいそうな徴収員は先生のフラメンコ・ギターを聴かされる羽目に。

「せっかく来てくれたんだから、まあ聴いていってくれや」って(笑)。デロデロデロリー…カカンカーン(←ギターの縁を叩く)ですよ。もう、興味なかったら苦行以外の何物でもないですね(笑)。そして、気持ちよくギターを披露した後の先生の一言。

「おまえ、俺のギターを聴いたんだから、金払え」

さすがに、徴収に来た人もびっくりしたのではないかと思います。ときどき、徴収員さんの中にはとても横柄で不快な気分にさせる人もいますが、上には上がいるものです(笑)。

「お前らがやっていることはこういうことだ。勝手に電波流しといて金払えって。悔しかったらケーブルにしろ」と。

 こうして、その日はお引き取りいただいたということでした。NHKがやっていることは、先生いわくそういうことなのです。小中学生のみなさんには、わかりやすかったでしょうか。先生は、今もお元気でまだ毒を吐きながらギターを弾いていらっしゃるんでしょうかねぇ。

 本日は、教授と呼ばれる“勝手おじさん”のお話でした。

 

デュルケムの『自殺論』を易しい言葉で解説する

 デュルケムとは誰かといいますと、フランス第三共和政時代の社会学者のことです。デュルケムは『自殺論』で、その当時の社会問題になっていた自殺の問題に取り組んで、哲学から独立した学問として社会学という分野を学問領域として確立していきました。自殺の動機は人によって違いますが、デュルケムは統計をとって数値化し、自殺と社会の因果関係を客観的に分析したのです。そうして社会学的な視点と心理学、精神病理学的な視点とを区別しています。じゃ、デュルケムの『自殺論』はどういうものなのかを今日は書いていこうと思います。

『自殺論』はこういう本

 この本は、短いです。短いといっても本を読み慣れない人には短くもないかもしれませんが、この手の学術的な本にしては短い部類だと思います。この本の構成がどのようになっているかといいますと、

はじめに「自殺とは何か」ということを定義しています。

デュルケム的に、ざっくりいうと自殺とは「当人自身がした行為で結果的に死んで、しかも当人がその行為で結果的に死ぬんじゃないかと思っていた場合をすべて自殺」と定義しています。つまり、「これをやったら死ぬとわかっている行為をあえて自分でやって死んじゃった場合を自殺という」ということを言っています。

そして、本論を3つに分けて

1 「自殺の非社会的要因」

2 「自殺の社会的原因と社会的タイプ」

3 「社会現象一般としての自殺」

を分析しています。

1つ目。「非社会的要因」では、精神病的な状態、人種、遺伝、気候や季節などの環境要因などの社会的要因じゃないものは自殺と直接関係あるとはいえないことを言っています。

2つ目。「社会的原因と社会的タイプ」では自殺の類型を3つに分けています。

1「自己本位自殺」

2「集団本位的自殺」

3「アノミー的自殺」

「自己本位自殺」とは、社会が弱体化して個人主義がいきすぎた場合に増加する自殺のこと。例えば、プロテスタントはカトリックより社会の凝集性が低い、つまり拘束力のゆるい集団なので自殺率が高いという風に考えています。そして、自殺は女性より男性に多い。若年より老人に多い。農村より都市部に多い。既婚者より独身に多いということを実証しています。なるほど、これは現代の日本の統計データを見てもそのようになっています。プロテスタントとカトリックのデータは見てないけど。

次に、「自己本位自殺」に関して「宗教、家族、政治的な統合の強さに反比例して増減する」ということを言っています。

「集団本位的自殺」というのは自己犠牲や殉死のようなものを指します。近現代でいうと、軍人などですね。軍人の自殺率は一般市民より高いということ。

「アノミー的自殺」はアノミー状態で引き起こされた精神の不安定のために自殺することです。「アノミー」とは、社会による欲望の無規制状態。「法の不在」を意味するギリシャ後に由来する概念です。困窮状態はもちろん、繁栄している社会でも混乱期には道徳を与える社会が弱体化するから自殺が増加しやすいと考えています。デュルケムの統計によると好景気の時の方が不景気の時より自殺率が高くなるんですって。あとは、商工業者の方が農業従事者よりも自殺率が高い、と。

そして、最後に「社会現象一般としての自殺」では、自殺の増加抑止に同業組合制度と、男女平等参画などが自殺の緩和につながるということをいっています。

統計データを調べてみよう

 日本の自殺の統計は厚労省のサイトで見ることができます。日本で自殺が多かった時期を調べると、「戦後」「プラザ合意後」「バブル崩壊頃」いずれも社会の混乱期なんですね。やはり社会が混乱すると自殺する人が増加します。それから、年金受給者の自殺が近年増加傾向にあるという統計もあります。年金受給者ということは、高齢者ということになりますね。でも、日本はもともと自殺者が多いですから、そういう点でアノミー状態が常態化しているんでしょう。

 若者の自殺が問題になっていますけど、14歳以下だと死因の第一位はガンです。それに、若者の自殺が割合として多いのは、「若者は病気で死ぬことが高齢者に比べれば少ない」ということもありますね。

 社会の自由研究は、図書館の資料やネット上で公開されている統計資料に基づいて客観的な視点で書いていきましょう。社会問題に関する本を読んで自分が感じたことを書けばそのまま読書感想文としても使えます。夏休みの最後に残りがちな自由研究や読書感想文はもう、書けているのでしょうかね。では、今日はこの辺で。

 

発音・アクセントを覚えよう

音・アクセントを軽視しない方がいい理由

 佐賀県では夏休み中に県下一斉模試があります。県下一斉模試は発音・アクセント問題があります。どうせ配点が低いから、面倒くさいからという理由でいつもなんとなく解いて、なんとなく間違ってしまっている人もいるのではないかと思います。しかし、一度覚えたら結構使えるし長く使える知識ですので、なるべく早期にマスターしておいた方がいいのです。その理由は、思いついただけでも3つあります。

 一つ目の理由は、音読するときに役に立つからです。前にも書いたのですけど、音読、音読という割に、音読に必要なスキルを身につける方法というのは意外に学校で習わないことなのではないかと思います。音を知らないのに読むというのもおかしな話ですよね。それに、リスニング力の向上にも役立ちます。

 二つ目の理由は、よく試験に出るからです。当然、出ない試験もあります。それでも1年間で一度も発音・アクセント問題が出されないということはないはずです。

 三つ目の理由は、長文で出た単語の読みがわかると意味がわかるということがあるかも知れないからです。

どうやって身につけるか

 単語を覚えるときに、一緒に覚えます。そして、試験の発音・アクセント問題で確認して覚えます。

 単語を覚えるときに覚えるにしても、発音記号が読めないという人は多いと思います。でも、記号自体はそんなにたくさんはありません。一度、時間をとって発音記号を覚えてしまうと発音記号を見ながら単語帳で繰り返し発音して覚えることができます。どうしても発音記号が覚えられない場合は、音源のある教材を使って音声を聴きながら単語と発音記号を見て覚えるのがいいと思います。

 さらに、そのインプットした単語を試験でアウトプットして、発音・アクセント問題に出やすいものを覚えておくのです。

 

こういうのも、あります。まとめて覚えるのもいいですよ!

↓↓↓↓


大学入試 関正生の英語の発音・アクセント プラチナルール
 

出やすいアクセント問題

 発音は、とりあえず読める人が多いのではないでしょうか。しかし、アクセントまでは考えて覚えていない、あるいは、間違って覚えてしまっているというケースが多いのではないでしょうか。なぜならば、日本語で説明するときに単語を正しいアクセントで発音すると、そこだけ英語っぽくなって浮いてしまうからなのか、カタカナ読みで説明している先生も多いと思います。でも、発音よりもアクセント問題の方が規則がわかりやすくて覚えやすいです。例えば、-ee, -oo型は、そのものの上にアクセントがあるという規則があります。guarantee, bambooなどがそうですね。そういう規則を覚えた後にいくつかある例外coffee, committeeなどの例外を覚えていきます。

 それから、試験を受けるうちに、よく出題されるものが何度も出てくることがあります。大抵、カタカナ語として日本語に定着してしまった英語が出たら、日本語になっているアクセントと違う場所にあるから出題されると考えます。カタカナ語のアクセントの場合、ほとんど伸ばす音、アルコール、エレベーター、パターンなど、伸ばすところにアクセントを置きます。英語ではその3つのすべてのアクセントが第一音節になりますので、ちょっと違和感があると思った人は意識して覚えていくといいですよ。言語学的にみれば、英語は第一音節にアクセントが行きがちらしく、あと数百年もすればアクセントが頭アクセントだらけになってアクセント問題が試験から消えるかもしれないらしいんですけど、数百年後にアクセント問題を解くことのない我々は残念ながら覚えていくほかないです。頑張ろう。

じゃ、いつ覚えるか

 今でしょ。←古いけど、いうてみました

 

本気のニートについて考える

 起業準備中の友人が「(自営業を)本気でやらないと無職と変わらん」という話をしていて、ぼんやりと考えたことをつらつらと書いてみます。ご本人は、自分が本気でやるのだとおっしゃっていたのですが、個人経営の学習塾を立ち上げたばかりの私には耳の痛い話といいますか、「お前は本気で仕事しているのか」と言われているようで、まだ努力が足りないといえば足りない気がしてなんだか叱られた気がしました。しかし「本気でやる」という抽象的な表現をどのように解釈していいのかわからなかったので、それに関して私には特になにも返す言葉がありませんでした。最近の私は「本気でやる」という抽象的なことをなるべく言わないようにしているからです。本気の無職っていないのかな?とか、ちょっと引っかかりどころもあり…。とはいえ、友人はとても親切で努力家であり、友達も多くいわゆる「いい人」なのです。だから、まったく批判的な感情でこれを書いていることではないことだけは断っておきたいと思います。

本気でやることという言葉はときどき人を混乱させる

 私は過去に、つい「本気でやってください」みたいなことを言って生徒を怒らせてしまい、確かによくなかったなと反省したことがありました。とても優秀な生徒さんだったのに。今ではできるだけ「何ページから何ページまでをいつまでにやってください」とか、「ここを覚えてください。試験に出やすいから」という言い方をするようにしました。「本気でやれよ」と言うのは簡単だけど、最近サボりがちな人でもそれなりに本気で悩みながらも何をしていいのかわからない人が多いのではないかと思うようになりました。我々は当たり前のように、何度も説明をしたのだからわからないとか覚えられないというのは甘えなのではないかと思ってしまいますが、意外に「わかったり」「覚えたり」するにはその前段階の知識が必要で、その知識が不足しているとかなりしんどい思いをするし、時間もかかるし、そもそもそんな苦行を続けていけるほど人間は強くできていないのです。

フリーターはニートよりも就業しているだけましという考え方は危険

 私は、非正規雇用で働いていた経験が長く、「就業しているだけまし」と思っていました。つい最近まで。しかし、よく考えるとニートにもいろいろあって、海外なんかに行くと、家が裕福で海外を転々と語学留学したり旅行に行ったりしている人たちもいらっしゃるのです。語学留学は就学しているのでニートとも違うのですけど一応無職といえば無職。それを、就業はしているけど非正規でほとんど対価に見合わない労働をしている人と比べるのも何か違う気がします。非正規でも、スキルを蓄積できる雇用ならいいのですが、誰にでもできる仕事を朝から晩まで繰り返しているだけなら思考停止のような気さえします。無策のフリーターより本気で将来を考えるニートの方がいいのではなかろうかと。

情弱になってはいけない

 我々はなぜ学ぶのか。学び方を学ぶ。そして考える。身体を使って日銭を稼ぐことより、頭を使えるようにならなければならない。知識や情報があれば、搾取されたり騙されたり操作されることが少なくなるはずなのです。最近、炎上していたレペゼン地球のDJ社長が、随分前ですが経営に関する長い動画を上げていらっしゃいます。「頑張る方向性を間違ってはいけない。遠くに行くのに一所懸命自転車を漕ぐくらいなら原付の免許を取りに行った方がいい」と。その話をしている動画は若い人たちにも経営というのがどういうことなのか、少しわかる動画だと思います。集客の難しさや人脈の大切さを面白おかしく語っている真面目な動画です。基本的に会社を経営するということは、支払いを先にしてより多くの利益を回収するというシステムなのです。

まとめ

 本気のニートは汗だくで自転車を漕がない。原付の免許を取っている時点で少なくともニートの枠組みから外れるのかもしれないけれど。