電子辞書どっちがいいのか問題について語ろう

今日は、定期的に浮上する紙辞書、電子辞書どっちがいいのか問題について

結論から言うと、どっちも使うべきだと私は思います

高校では、電子辞書を持っていくのが一般的のようですが、小中学生ではまだまだ電子辞書の使用が禁止になっている学校も多いと思います。英作文でも「紙の辞書は将来使われなくなると思いますか」「紙の辞書と電子辞書のどちらがいいと思いますか」のようなトピックをよく見かけます。個人的には使い分ければいいのだと思うんですけど。では電子辞書禁止の学校に通われているみなさんは、どうすればいいか。

「学校では紙辞書を使い、家では電子辞書を使う」

もう、何なら辞書じゃなくてスマホでもいいのではないかと思うんですけど、スマホの使用の方がもっと禁止されていると思うので、家でも学習中はスマホではなく電子辞書を使っていくのがよいかと思います。スマホは辞書以外の機能が充実し過ぎていて、受験が差し迫っている高校生に比べて小中の生徒さんたちには誘惑が多すぎるのでお薦めしません

「しかし、なぜ学校では紙辞書を推奨しているのか、あるいは電子辞書の使用を禁止しているのか」

いくつか理由はあると思うんですけど、先生自身が電子辞書のことをあまり知らないということなんじゃないかと思います。先生の中には、個人的に使ってもいいと思っている方もいらっしゃると思うんです。でも、今まで使わないという決まりだからあえて変える必要はないかなと思われているのかもしれませんね。絶対に紙の辞書という人は、紙の辞書のメリットにしか目が行っていないのかもしれませんし、そこを説得するのは難しいです。では、なぜ電子辞書も使った方がいいのか。

電子辞書のメリット

・検索が速い

・綴りなどの曖昧な言葉も調べられる

・数十冊分のデータが収録可能(さらにコンテンツを追加できる)

かさばらない

音声が聞ける

・図や画像も確認できる

など、他にも便利な機能がたくさんあります。しかし、中高生に電子辞書をお薦めする最大の理由は、検索速度の速さにあります。って、電子辞書をお薦めしている側に回った感じの書き方になりましたが、紙の辞書がいけないのではなく、電子辞書のメリットはその検索速度の速さ携帯性、特に英語は音声確認ができることなど、メリットの方が多いからです。なぜ速さなのかというと、受験までに与えられた時間が限られているからです。紙の辞書の方がすぐれた部分もあるので、家で引き慣れていた方がいいのですが、それでも電子辞書も使った方がいいと私は個人的に思っています。

アクセスに時間がかかると人はやらなくなってしまう

なぜ、「時間がかかる」とか「かさばる」ことがよくないかというと、人はある動作にたどり着くまでに時間がかかってしまうとその行動をやめてしまうからです。かさばって持ち運べないものはそのうち使わなくなってしまうのもそうです。教科書ですら「重いので学校に置いています」という人もいますよね。何か一つ動作が加わると、例えば「箱から取り出す」などの動作が加わると「面倒臭いなぁ」ってなりませんか。以前、「絶対にやらないといけないものは、すぐに取り掛かれるように、机に広げておくといいですよ」と言っている先生がいらっしゃいました。すぐに取り掛かれるようにするには、工夫が必要なんです。もうね、たどり着くまでに、どうでもいい些細な決断とか行動をしていくうちに、やる気を少しずつ消耗しているんですよ。

中学生からの意外なご意見

「自分は、電子辞書を使った方がいいと思う。でも、反対意見の中には、他人の電子辞書を故意にではなく、何かの拍子に落として壊した場合、誰が責任を負うのかが問題じゃないか」ということでした。落ちる場所に置いておく本人の責任だと私は思うのですが、みなさんはどのようなご意見でしょう。でも、ネット上で調べたところ、「過失による破損は、壊した側の責任」で、壊した側が弁償することになるようです。ただし、電子辞書はちょっと落としたくらいでは壊れないくらいタフなものが多いので、そこまで神経質になる必要があるのかどうかとも思うのですが。やはり、中高生にとっては高額の持ち物なので、壊したら大変だと思う人が多いのかもしれませんね。大人から見ればそんなことを気にしているのかって思ったりもするんですが、きっと「よく壊す人」も存在しているのでしょう。うっかりしている人、うっかりし過ぎている人、うっかりのレベルを超えている人、たまにいますもんね。でも、タブレットはよくて電子辞書はだめというのは理由がよくわからないんですけどもね。タブレットの方が壊れやすいのではないんでしょうかね。それに、高校生は電子辞書を学校指定で買わされているところもあるので、なぜ中学校はだめなのかも疑問です。高校は義務教育から外れているから「買うも壊すもすべて自己責任」なんでしょうか。しかし、学校がそこまで紙辞書の使用を推奨している理由は、メリットがあるからだと思うんです。

紙辞書のメリット

紙辞書の最大のメリットは、引くことでその周辺に収録された語も視界に入ってくることと、用例をたくさん見ることができることとよく言われています。また、紙の方が電子端末よりも記憶に残りやすいということなどは科学的にも証明されているようです。娯楽のための読書には電子端末でいいと思いますが、データを集めて論文を書いたりするときは紙の方が見やすいですし、頭に残りやすいです。そもそも紙を使わずに資料を揃えるのは、大変です。書き込んだり貼ったり剥がしたりが容易というのもメリットではありますが、電子端末の場合(特に小説など)ページをめくってもめくっても相変わらず同じページを開いているような感覚になりますね。

それでも電子辞書を使うべき理由

使うべきというと語弊はありますが、電子辞書を併用した方がいい理由は、何度もいうようですが、その手軽さにあります。辞書機能以外の便利すぎる機能がついていない硬派な辞書なら、タブレットやスマホのように、気が散って他のアプリを触ってしまうということもありません。時間を有効に使うなら、いつでもどこでも電子辞書を引き、家で学習する時は紙の辞書をじっくり引くというのがいいのではないかと思います。

今、とても学習しやすい、いい時代になったなぁと思います。オンラインの無料辞書のことなども、また別の機会に。

じゃ、またこのブログでお会いしましょう。

おすすめ日本文学

若い頃に読んでおきたい日本文学

 若い頃に読むべき本というのは、人生に数回開く本かもしれません。もしかしたら何度か読み返したくなる本が、中高生でもすでに何冊かあるかもしれません。人生に数回開く本は、若い頃に読んで共感し、いつかまたその本を開いた時違った視座からその作品に出会う本ともいえるのではないでしょうか。私が読み返したい日本文学を三つあげるとするなら、村上春樹、福永武彦、三浦綾子です。いずれも、十代の頃に読みました。高校生の頃は芥川も好きでしたし、高橋源一郎は、小説よりもライトな書評が好きで、わりと読みました。しかし、あえて若者におすすめするなら、迷わずこの3人を挙げます。もし、これらの本を読まれたらなぜ若い頃に読んでおきたい作品なのかはわかるんじゃないでしょうか。

村上さんの独特な文体と世界観

 世界的に熱狂的なファンの多い村上春樹の小説は、まだ若い頃は純文学というより中間小説と言われていたと記憶しています。私は初期の作品がとても好きでした。長編もありますが短編もエッセイもとても読みやすく、普段本を読まない人にもおすすめです。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』という初期の長編小説を私は若い頃夢中で読んだ記憶があります。はじめは、2つの物語が交錯していて場面が行ったり来たりして一体どういうことなんだろうと思うんですけど、終盤になるとそれがつながるんです。終わり方もまたいいんですよ。『ノルウェイの森』もいいけどね。

福永武彦は、池澤夏樹のお父さんですよ

 何、池澤夏樹を知らないですと?今すぐ本屋に行きましょう!そして、池澤夏樹と福永武彦の本を買って来ましょう。どちらの作品も素晴らしいです。当然ですが、親子とはいえ、まったく違うタイプの作風です。福永は『草の花』と『忘却の河』が有名。『愛』とか『孤独』とか、私が語ると軽い感じがしますが、重いテーマを美しく描いた作品です。作品はいずれも短く読みやすいです。『忘却の河』から入って他の作品も読むのがおすすめ。

新潮文庫の100冊というキャンペーン商品に入っていることが多い『塩狩峠』

 『塩狩峠』は、高校の読書会の指定図書だったと思います。これは読んだことがある人多いんじゃないでしょうか。『愛』『信仰』『自己犠牲』の話で、実話に基づいて書かれた小説です。あらすじだけ聞くと、道徳的過ぎて拒絶したくなる話ですけど、三浦綾子は導入から30ページで読者の心をがっちり掴んで離さないんですよ。展開が速いですし、筆力がすごい。あっという間に読み終わります。続きが知りたくて夜更かしして読みました。三浦作品の『氷点』は何度も映像化されています。『泥流地帯』もよかった。

 ちなみに『塩狩峠』というと『トロッコ問題』(ウィキペディアにとびます)を思い出します。2歳児の答え(YouTubeにとびます)がエドワード・ゴーリーのブラックユーモアみたいで、不覚にも笑ってしまいました。みなさんならどうします?

まとめ

 またいつか海外文学なども、ご紹介できればと思います。せっかく秋だし読書をしてみると世界が変わるかもしれませんよ。

アマゾンのオーディブルについて

 


Audible (オーディブル) – 本を聴くAmazonのサービス

 

 オーディブルに、以前登録していたので、使ってみた時の感想と、私が考える長所と短所、どういう人におすすめなのかというのを書いていこうと思います。私が聴いていた頃よりは、コンテンツも増えてきているとは思うのですが、結論からいうと発行されている冊数が、紙>キンドル>オーディブルには違いないので、いろんな本が読みたいという人にはもちろん紙の本が一番おすすめです。でも、さすがに運転しながら本を読むことはできないので、移動中や軽い運動をしているときに聴きたいという方にはおすすめしたいです。

オーディブルの長所・短所

【長所】

・ハンズフリーで、移動しながらでも聴ける

・速度調節できること

・女性が読んでいるもの、男性が読んでいるものがあって、聴きやすい

・無料コンテンツをたくさん聴く人はお得

【短所】

・コンテンツが少ない

・普通の速度では遅すぎるけど、倍速では速さはちょうどいいのに声が聞き取りづらいこと(特に、小説なんかを倍速で聞くと内容はわかるけど面白くなくなってしまい、結局読んだ方が早くないかなと思ってしまいます)

・ラジオドラマのような効果音や音楽が入っていない(それが短所なのか長所なのかは好みの問題)

・聴いていた音楽が頭の中をぐるぐるするように、朗読の音声が倍速で聴くと倍速のまま音楽のように頭をぐるぐるすることがある

おすすめしたい人

・本を読みたいけど、あまり読まない人

・本を読むのが遅い人

・読みたい本がオーディブルに収録されている人

・東洋経済が好きな人

・移動が多い人

・目が悪い人

特に、高齢者の方は近くが見えにくくなっていらっしゃる方が多いので、敬老の日にお勧めするといいかも知れませんね。

使ってみた感想

 無料体験期間+1ヶ月ぐらい聴いていました。やめた理由は、コンテンツがあまり充実していなかったからですね。聴きたいコンテンツが少ないと非常に微妙なサービス。しかし、ほとんど興味がなかったら無料でやめればいいわけで、決して損をするようなものではないです。移動中などの隙間時間の有効活用になるので、これを聴くと、普段より本を読む冊数が増えました。本がもともと好きでない人でも、流しておくと読書家になれますし、普段読まないジャンルの本や名前だけ知っている作家の作品も聴いてみる気になるのがオーディブルの最大のメリットでしょう。

 今思い返すと、移動しながら聴いていたので「あの場所であの頃あの本を聴いていた」というなんだかいいのか悪いのかよくわからない関連付けが起こります。「この小説を聴きながら駐車場からイヤホンをしてどの道を通った」「これを聴いていた時は、晴れていた。車の中が暑かった」とか。それに何の意味があるのかと言われても困るけど。

 どうやら、やめて一定期間経つと「もう一度、無料で本を聴いてみませんか」というご招待が来るようです。またオーディブルを再開しようかなと思っていたので今日は書いてみました。

 

デュルケムの『自殺論』を易しい言葉で解説する

 デュルケムとは誰かといいますと、フランス第三共和政時代の社会学者のことです。デュルケムは『自殺論』で、その当時の社会問題になっていた自殺の問題に取り組んで、哲学から独立した学問として社会学という分野を学問領域として確立していきました。自殺の動機は人によって違いますが、デュルケムは統計をとって数値化し、自殺と社会の因果関係を客観的に分析したのです。そうして社会学的な視点と心理学、精神病理学的な視点とを区別しています。じゃ、デュルケムの『自殺論』はどういうものなのかを今日は書いていこうと思います。

『自殺論』はこういう本

 この本は、短いです。短いといっても本を読み慣れない人には短くもないかもしれませんが、この手の学術的な本にしては短い部類だと思います。この本の構成がどのようになっているかといいますと、

はじめに「自殺とは何か」ということを定義しています。

デュルケム的に、ざっくりいうと自殺とは「当人自身がした行為で結果的に死んで、しかも当人がその行為で結果的に死ぬんじゃないかと思っていた場合をすべて自殺」と定義しています。つまり、「これをやったら死ぬとわかっている行為をあえて自分でやって死んじゃった場合を自殺という」ということを言っています。

そして、本論を3つに分けて

1 「自殺の非社会的要因」

2 「自殺の社会的原因と社会的タイプ」

3 「社会現象一般としての自殺」

を分析しています。

1つ目。「非社会的要因」では、精神病的な状態、人種、遺伝、気候や季節などの環境要因などの社会的要因じゃないものは自殺と直接関係あるとはいえないことを言っています。

2つ目。「社会的原因と社会的タイプ」では自殺の類型を3つに分けています。

1「自己本位自殺」

2「集団本位的自殺」

3「アノミー的自殺」

「自己本位自殺」とは、社会が弱体化して個人主義がいきすぎた場合に増加する自殺のこと。例えば、プロテスタントはカトリックより社会の凝集性が低い、つまり拘束力のゆるい集団なので自殺率が高いという風に考えています。そして、自殺は女性より男性に多い。若年より老人に多い。農村より都市部に多い。既婚者より独身に多いということを実証しています。なるほど、これは現代の日本の統計データを見てもそのようになっています。プロテスタントとカトリックのデータは見てないけど。

次に、「自己本位自殺」に関して「宗教、家族、政治的な統合の強さに反比例して増減する」ということを言っています。

「集団本位的自殺」というのは自己犠牲や殉死のようなものを指します。近現代でいうと、軍人などですね。軍人の自殺率は一般市民より高いということ。

「アノミー的自殺」はアノミー状態で引き起こされた精神の不安定のために自殺することです。「アノミー」とは、社会による欲望の無規制状態。「法の不在」を意味するギリシャ後に由来する概念です。困窮状態はもちろん、繁栄している社会でも混乱期には道徳を与える社会が弱体化するから自殺が増加しやすいと考えています。デュルケムの統計によると好景気の時の方が不景気の時より自殺率が高くなるんですって。あとは、商工業者の方が農業従事者よりも自殺率が高い、と。

そして、最後に「社会現象一般としての自殺」では、自殺の増加抑止に同業組合制度と、男女平等参画などが自殺の緩和につながるということをいっています。

統計データを調べてみよう

 日本の自殺の統計は厚労省のサイトで見ることができます。日本で自殺が多かった時期を調べると、「戦後」「プラザ合意後」「バブル崩壊頃」いずれも社会の混乱期なんですね。やはり社会が混乱すると自殺する人が増加します。それから、年金受給者の自殺が近年増加傾向にあるという統計もあります。年金受給者ということは、高齢者ということになりますね。でも、日本はもともと自殺者が多いですから、そういう点でアノミー状態が常態化しているんでしょう。

 若者の自殺が問題になっていますけど、14歳以下だと死因の第一位はガンです。それに、若者の自殺が割合として多いのは、「若者は病気で死ぬことが高齢者に比べれば少ない」ということもありますね。

 社会の自由研究は、図書館の資料やネット上で公開されている統計資料に基づいて客観的な視点で書いていきましょう。社会問題に関する本を読んで自分が感じたことを書けばそのまま読書感想文としても使えます。夏休みの最後に残りがちな自由研究や読書感想文はもう、書けているのでしょうかね。では、今日はこの辺で。

 

文学作品をまとめた漫画のこと。レビュー

ドリヤス工場/著『有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』 (トーチコミックス)は、好き嫌いが分かれると思う作品

 私は、「ちょっとこれは強引すぎやしませんか?(笑)」と思いました。「短編集の中の1作品を1文でまとめます」ぐらい、10ページぐらいでまとめるってそんな感じです。例えるなら、レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』は「妻の友達のいけすかない盲人がうちに来たのだけど、妻が寝てしまっている間に一緒に絵を描いたら夢中になっていた」というのと同じぐらい強引。やれやれ(村上春樹訳だけに)。

文体とかはあまり考えないにしても、全部を説明しきれませんし、読んだことがない人なら作品を誤解しそうだと思います。 

まんがで読破シリーズはわりと好き

 まんがで読破ぐらい長くないと、伝わらないと思うのですが、このシリーズでさえ作品のクオリティーにばらつきがあります。しかし私はわりと好きです。まんがで読破で読んでみて面白いと思ったら元の作品を読んでみたいと思う作品がいくつかありました。マルクスの『資本論』などは、きっと経済に詳しい人が読んだら「たった2冊の漫画で資本論は書けない」とおっしゃるでしょうけど、私は漫画にでもなっていなければこれは読まなかったなと思いましたのでよかったです。シェイクスピアなどは、元が短いのでまんがになっていても違和感なく読めました。 シェイクスピアも「漫画では伝えきれない」とか「原書じゃないとあの言葉遊びの面白さは理解できん」とか、あると思いますが、これぐらいの長さがあれば十分伝えるべきことは伝わるんじゃないかと思います。

『あさきゆめみし』を忘れてはいけない

 本格的に文学を漫画にしたというのは、この『あさきゆめみし』あたりが元祖なのではないかと思うほど、かなり古く、素晴らしい作品。美しい絵。鼻持ちならない光源氏。愛すべき末摘花。この本を読んで『源氏物語』が好きになった人と大嫌いになった人がいるのではないでしょうか。私は大嫌いになりました。それほど、登場人物が生き生きと描かれていてわかりやすい。美しいものは美しい。そして、憎らしいものは憎らしい。しかし長編漫画ぐらいの長さなので、まとめ系漫画ではないですね。

『マンガ日本の古典』(中公文庫)を読んでみたい

 これは、とても気になります。描いている漫画家が昭和の一斉を風靡した方々。それに、有名な本ばかりですし、学校で読まされたものもあります。懐かしいし、今読むには面倒くさい。家に日本古典文学大系があるのですが、さすがに今更全部読む気にはなりません。全訳が載っていないというのも、とても読みにくいです。これを全巻読んだら、また読んでみたいなんて思うかも知れません。しかし、全巻揃えるとわりとお金はかかりますね。みなさんは、漫画で文学を読む派でしょうか。

 

「量から質」という考え方

齋藤孝/著『原稿用紙十枚を書く力』を読みました

 「書く力がない人は、たいてい読む力もない」とありますが、原稿用紙10枚をすらすら書けるようになるにはかなりの訓練が必要だと思います。この本の中で「書く力」は「考える力」と書かれています。私がブログを書き始めた理由の一つは、「考える力を養いたいから」というのもあります。それゆえ、以前購入していたこの本を引っ張り出してもう一度読んでみる気になりました。この本は「書く力」だけでなく、さまざまなことに共通する「うまくこなしてものにする」エッセンスがつまっています。なぜなら、「書く力」も他の物事と同様、量をこなして伸ばしていく能力だからです。

 齋藤孝先生の本は以前数冊読んだことがありました。テレビや雑誌などでお見かけするいつも柔らかい優しい笑顔であふれる齋藤孝先生とは裏腹に、先生の著書の内容は意外にダイレクトで辛辣です。

「書くことはスポーツ」

 つまり、質より圧倒的な量をこなすこと。量をこなして質を上げていくという考え方ですね。これは、スポーツ以外の何にでも当てはまることです。学習もそうですし、何か上達したいなら1万時間やるべきとマルコム・グラッドウェルも著書『天才!成功する人々の法則』の中で述べています。いきなり10枚書くというのができなくても、毎日目標を決めて書き続けるということが推奨されています。

「引用力」

 「引用力」を上げるには、書くという前提で読み、最後まで読む必要もないのだと書かれています。そして久しぶりに見た「3色ボールペン」の登場です。懐かしい。昔3色ボールペンの本を出されていましたね。

「赤は重要な部分、青はまあまあ重要な部分、緑は個人的にいいと思った部分」

ロザンの宇治原さんや7回読みの山口真由さんはマーカー否定派ですけど、マーカーを一切引かない読み方というのは、おそらくかなり読み慣れた人に適しているのだと思います。さらに、音読によって文章の生命力がわかると書かれています。ご自身の著書を彷彿とさせる「声に出して読むこと」。こうして読んでいくと、どの著書にも根底に流れる内容に一貫性があり、主張が繋がってきますね。

「3つのキーコンセプトをつなぐ」

 原稿用紙2、3枚ならレジュメの作成など準備はいりませんが、10枚以上となるとレジュメを作って構成をしっかり組み立てていかなければなりません。「出来るだけ離れて重ならない3つのキーコンセプトをどうつないでいくかで、その人の能力が決まる」「その3つをつなぐラインが脳みそをつなぐラインであり、その人の個性である」のだと。

 しかし、あとがきで「質は高いけど、短い文章しか書けない人」よりも「量をこなせる人」を評価されているのは、それだけの量をこなし、実際に質の高い文章を書いていらしゃるからこそ、そのように感じていらっしゃるのだと思いました。量をこなして質を上げるということは、思考として健全だと思います。文章を書く人にも、書かない人にもおすすめの本です。

 

選択の本質は捨てるほうにある

長沼毅/著『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』(クロスメディア・パブリシング)を読みました

 この本は、まえがきにある通り「脳に振り回されずに生きる方法」を科学的に書いた本です。人間の脳は、進化の過程で直立二足歩行をし、進化して知性を発達させて「楽をする」という動物としての体の欲求に背いてしまうというトラブルを抱えています。自分に向かないことをやっているケースと環境に合わないケースというのが、日々疲れている人にみられるということが書かれていました。本書では、そいういったことから解放される方法がいろいろと書かれていて面白くさらっと読めました。

わりと、脳が疲れているのは目の疲れと相関関係があるかもね

 「脳から出ている神経の1/3は目につながっている」というのは、なんだか面白い話でした。目が疲れると、頭が疲れた気がしますね。動物はどちらかというと聴覚や嗅覚が優勢だったりしますもんね。うちの犬は、あまり視覚がすぐれていなくて、特に遠くに投げたおやつなんかは、近くの地面をにおいを嗅いで探し回るんですが、途中で諦めます。明らかに視覚は弱いと思いましたが嗅覚も、ちょっと怪しいです。かわいいから許す。

動物界では無理をしないで死ぬときは死ぬというまっとうな考え方

 つまり、無理をしないで淡々と生きること。辛いときは、ストレスから逃れること。それは大事なことです。つらいことに向き合うにしても、その先にはいいことが待っていると。わかっていても、なかなかそんなに飄々と生きることはできませんが。「勝つまで負ける」とか「負けは負け、失敗は失敗と認めないと、同じことの繰り返しになります」という考え方は共感できます。動物もエサが取れなければ延々と同じ方法をバカみたいに繰り返して決してくじけないというのは、見習うべき。これは人間が忘れがちなことだと思います。

やる理由はある、やらない理由はない

 耳が痛い(笑)。我々はやらない理由をいくつも並べますが、やる理由はひとつ。頑張るためには、周りの人の力を借りることを提案されていました。そして、選択するのは沢山の中からひとつを選ぶということのようですが、選択の本質は捨てることにあるということも述べられています。やってもやらなくても結果的には後悔するのだからやって後悔したほうがいい、と。わりと、社会とか集団については、淡々と「ただ人が集まっているだけの場」と書かれていて、若い頃はその集団に振り回されて一喜一憂することが多かったのですが、確かにその通りだなぁと思います。学校でいじめられている子供なんかも、ただ地域にたまたま住んでいただけの人が集まっているだけだから、合わせる必要もないし、そもそも学校は必要がなければそんなに毎日行かなくてもいいぐらいに思えてきます。

 この本の著者は、脳科学者ではなく生物、生態学者なので、脳科学ではなく動物と人間という視点で書かれています。動物界で、動物ならこのように行動する。人間も、このように生きてはどうかということがいくつも書かれていて、その視点の面白さととにかく一歩引いた冷静な目で人間という動物を語っているところがよかったです。読みやすい。

 

 

脳髄は物を考える処に非ず

英検1級の『文で覚える英単語』を読んで考えたこと

 「脳髄は物を考える処に非ず」というのは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』の一節ですが、今日は我々がなぜ脂肪分の多いジャンクフードなどを好んで食べるのかについて書かれたトピックを見て「なるほど」と思ったことをメモしておきます。語学系のテストで、長文がいくつもあるととても面倒だと思うのですが、大学入試の問題や模試の問題などはとてもよく厳選されていて面白い記事の抜粋があります。英検もそうです。『文単』は、単語帳の一種なので、とても短い英文がいくつもあるわけですが、1ページにも満たない短い文の中に、興味深いことも書かれています。ただ、覚えるだけじゃなくて文章が楽しめるのはとてもいいと思います。あまり、文章で単語を覚えるのは効率がいいのかどうかはわかりませんが、たくさんの単語を素早く何度も繰り返して覚えるのと同時に文章でも確認するのは記憶に定着しやすいと思います。このトピックは「環境・食料」カテゴリーの中にありました。

 ここで書かれていたのは、脂肪が多い食べ物の誘惑に屈してしまうのは、我々の体内に「第二の脳」が存在するからということでした。「第二の脳」とはもちろん腸のことです。「腸神経系(Enteric Nervous System)は脳の1/1000の数のニューロンから成っているのに脳とは関係なく強力なメッセージを私たちに送る」「胃腸(gut)は脳のいかなる抑制とも関係なく活動できる」というコロンビア大学のマイケル・ガーション教授の言葉が引用されています。

 悲しいときにやけ食いをするのはよく聞く話ですが、脂肪分を多く含む食事はセロトニンの分泌を促すからで、ようするにそのセロトニンが悲しみを軽減するということなのです。なるほど、ストレスが溜まったときに脂肪の多い食事をとるとストレスが軽減されるということだったのかとちょっと納得してしまいました。

 知らず識らずのうちについ食べすぎてしまって、明日から気をつけようなどと毎日反省するわけですけども、甘いものと脂肪はやめられません。頭ではわかっていても、体内でこういうことが起こっていたから脂肪がやめられなかったんですね。

 

Amazon kindle, audible, 紙の本,結局どれがいいんですか論争

あれこれ買ったわりに、使っているのはPCとiPad

 頭に残りやすいのは紙の本。でも、ダウンロードしていつでもどこでも読めるし少し安いしかさばらないのは電子書籍。できればもっと快適にたくさん無理なく本を読みたい。誰もがそう思い、誰もが迷うところではないでしょうか。理解度でいくと紙最強と言われて、「じゃあ、紙の本で」とはならないですよね。Amazon kindle本体も初期のモデルよりはかなり値を下げて来ていますし、コンテンツも増えています。みなさん、紙の本と電子書籍をうまく使い分けていらっしゃるのではないかと思うのですがどうでしょうか。高校生ぐらいまでは、支払いの関係上まだ紙優勢なんでしょうかね。

 紙の本は確かに読んだ実感があります。本の匂いも落ち着きます。でも、いつでもどこでも多読派の人には電子書籍、特に読み捨てのような流行りの本と青空文庫になっているものは電子書籍で十分なんじゃないでしょうか。

 私は、できれば読みやすかったらすべて電子書籍に変えたいぐらいなのです。紙の本は汚れる、傷む、嵩張る、灼けるからです。私は無精なので物を増やしたくないというのが最大の悩みなのですが、テキスト類などはどうしても紙じゃないと扱いにくいですから娯楽用の本や5年後には古くなるHow to本のようなものはなるべく電子書籍で済ませたいです。それに前にも書きました「表紙の表紙がパタパタする」という紙の本特有の「戦い」もあります。

 でもどうしても慣れないのは、電子書籍を読んでいて感じる、あの平面的で冷たい感じとどこまで読んでも読み進んでいる感じのなさですね。読み上げ機能もありますが、読み上げ機能よりはオーディブルの方が好きです。

 ただし、オーディブルを運転中に聴いていると、読み上げるスピードが思考時間より「遅い」というイライラが生じます。特に、運転しているという物理的に体感する「速さ」とのズレが大きいから余計にそう感じるのかも知れませんが。倍速にすると今度は「聞き取りづらい」と、さらにイライラが増してきます。

 しかし、最近はパソコンを使って読むとかなり自分にとっては快適に読めるということがわかりました。これは、本当に好みなので万人に向くかどうかはわかりません。私は、kindle3、HD6、paper whiteの3つを持っていて、結局どれもあまり活用していません。明らかにHD6がこの中では好みなんですが、重いのが欠点です。

 結局、手に持たずに快適に読むにはPCが一番で、画面も見慣れていることだし、結局これだなと思うようになりました。

 そんなことなら特別にkindleを買うことはなかったなと思ったのですが、kindleを所有されている方々はどうなのでしょう。私は、周りでkindleを使っている人を見たことがありませんし、電車でkindleを使って読んでいる人を見たこともありません。一度だけ病院で楽天koboらしき物でなにかを読んでいる人を見かけました。スマホで読んでいる人の方が多いのかも知れませんが、他人のスマホを覗くのはマナー違反のような気がして、みなさんがどうやって読んでいらっしゃるのだろうかと、ちょっと気になったりするのですよ。でも、確実に、電子書籍端末は売れているわけで、所有者はかなりの数にのぼるのですよね。

 逆にこれからは、紙の本が電子端末に寄せてきたりして。そうすれば、やっぱりそっちを買っちゃいそうな気がします。そして、また同じように後悔しそう。なんやかんやで。今日の話にはオチがありませんでした。

 

子どもこそ、お金について真剣に考えよう

佐藤航陽/著,『お金2.0新しい経済のルールと生き方』,幻冬舎を読みました

 夏休みの読書感想文のためというわけではないのですけど、最近立て続けに本の話ばかりしておりますが、お金の話を子どもにするとなると、なかなか子ども向けの本を選定するのは難しいのではないかと思います。ましてや、小さいお子さんに読み聞かせするとか、相当変わった家庭のような感じもしますので、ある程度お育ちになったお子様といろいろ考えてみて、自由研究のネタにできるような感じのことをかければいいなと思っています。今日は、お金と経済の話です。今回もネタバレです。解釈が間違っていたらごめんなさい。経済の分野にはちょっと疎いのですがこれから真摯に学んでいこうと思っております。

 この本では主に経済が「資本主義」から「価値主義」へと移行しているということについて書かれています。

 では、「価値主義」とは何かというと、クラウドソーシングやブロックチェーン、ビットコインやSNSなどが発達し、お金の流れが「自律分散」し、経済の民主化が起こってお金そのものに価値がなくなり、増やすことの難しい「信頼」「時間」「個性」などの価値が上がっていくという経済構造のことです。わかりやすい例えが書かれていましたが、貯金ゼロでもツイッターのフォロワー100万人の人は資金と知恵を集めるのが容易な世の中ということですね。

 現在、世界経済の上位1%の富裕層が世界全体の富の48%を所有していて、「上位80人」と「下位35億人」の所得がほぼ同じで世界に流通する9割は消費経済より資産経済で生まれているので、お金の価値が下がると言われてもピンと来ませんが、これから労働が機械に置き換わっていき、ベーシックインカムが普及すると、働き方も収益構造も今とはまったく変わってしまいます。そうなると、わりと近い将来そうなってもおかしくはないですね。

 資本主義経済では、取引を繰り返していくうちに格差が生まれていくのは当たり前のことで、お金を生み出すこと、手段が目的化してしまったためにお金にならないものがまるで無価値のように評価されています。筆者は、経済システムにも寿命があり、資本主義の限界をむかえているとの見方です。

 マルクスの社会主義は、お金の新陳代謝を悪くするという自然の構造からかけはなれた仕組みだったために崩壊したという見方もなるほど納得がいきます。しかし、完璧な経済システムなどなく、評価経済の落とし穴は、「注目されること」により価値をおき(炎上商法みたいなものがその例ですね)そのものの価値を下げているという欠点にも触れています。

 では、これからはどのような生き方を選ぶべきかというと、1日中やっても苦痛でないことを探すことだといいます。格差を固定化せずにどうすれば社会が活気を持てるかを考えることが重要だと筆者はいいます。格差が悪いと言って、悪者叩きをして憂さ晴らしをしても変わらないのだから。

 得意なことを伸ばして努力するとそれが収益化と幸福につながるなら、決して悪い未来ではないということなのでしょう。少なくとも、人生は運ゲーじゃないから。努力せいってことかな。