センター英語

センター型マーク問題を復習しよう

 マーク式問題集やマーク模試を解いて、点数だけ確認して復習せずにしていませんか?あるいは、やる気はあるのに、具体的にどう学習していいのかよくわからないと悩んでいませんか?今日は、そんな生徒のために具体的なセンターマーク英語の復習方法を書いてみたいと思います。基本的には、英検などもマークの4択ですから復習は同じようにできると思います。少しでもみなさんのお役に立てれば幸いです。

 ①自己採点の方法 ②センター型マークを学習する順番 ③具体的な学習方法に分けて解説します。やってみようかなと思ったら実践してみてください。もし、合わないと思ったら「そんな復習方法もあるのだなぁ」ぐらいに思って読んでください。

マーク問題の自己採点

 自己採点をする際、問題用紙にチェックした自分の答えと模範解答の配点表を照らし合わせて答え合わせしますよね。間違った問題は正解の番号のところに丸をつけるのではなく、正解の番号の下に小さなアンダーラインなどの印を赤でつけるようにするといいと思います。パッとみたとき、丸で印をつけると間違った問題がみつけにくいからです。

 さて、ここからは配点表の話です。模範解答の配点表は左右に分かれていて、左に大問1ー2、右に大問3-6がついています。配点表には、丸をつける欄がついていますが、1問1問書いてある配点の上にバツをつけていってもいいと思います。その際、配点表には丸をつけないのがポイントです。丸がたくさん並んでいると気持ちいいですが、常にバツを減らすということを頭に入れて毎回採点していきましょう。

センター英語を学習する順番

 センター英語の長文は、比較的短い大問3を完璧にするということから始めるのがおすすめです。大問3は、長文ではないと言われるかもしれませんが、要約の問題は配点の高い大問6とほぼ同じつくりなので大問3の要約問題が解ければ大問6も解けるようになります。順番的には、③→⑥→⑤→④→②→①の順にマスターすると、点数が伸びやすいです。まだ8割未満しか取れないのであれば、解答時間が足りないかもしれませんので、時間内に解き終わらないようなら、この順番に解くと配点の低いところを残して時間切れになるので、この順番で解いてみてください。英語が得意な人は②の文法問題はあまり対策が必要ないでしょう。一番難しいのは整序問題ですね。河合のマーク基礎問題集は余裕がある人はやる価値のある問題集といえるでしょう(この辺のことは、過去の記事にもかいています)。

読解問題の具体的な学習方法

 読解問題は、本文中に選択肢の書き換え部分を見つけるというのがほとんどです。「自分が答えた選択肢はどこの書き換えだと思ったか」を考えていきます。さらに正解をみて、正解はその文章のどこの書き換えになっているかをみます。それを繰り返していくと、だんだんコツがわかります。

 読解問題のつくりは、ほぼ同じです。物語文が大問5、6では出なくなってきたので、演繹的な構成になっているものが多いと考えられます。演繹的とは、まず言いたいことを先にいいます。それからその具体例、結論で締めます。1つのパラグラフ自体がそのような構成になっていますよ。大問4のグラフの問題は、統計や調査資料の読み取り問題なので、設問に「何の調査ですか?」とテーマを聞かれたら最初のパラグラフを見るとたいてい書かれているでしょう。

 ちょうど、英検のライティングも同じような構成で書きます。ここで注意したいのは、起承転結の構成ではないということです。論文の構成は、途中のクライマックス部分で展開を変えて違う結論にしてしまうのはご法度です。間違いなく「はじめの文章は何だったの!」「ここまで読んできたアタシの人生返してよ!」となるでしょうね。

まとめ

 マーク問題は、読解問題の配点が高いです。時間が足りない場合は、配点の高いところから解くこと。自己採点の時、配点表には丸よりもバツをつけてバツの数を減らすようにしていきましょう。読解問題は、演繹的。大事なことは先に言っています。基本は選択肢の言い換え表現を本文中に探すこと。それを意識して読解問題を解き、復習すると点数が伸びますよ。

おすすめ日本文学

若い頃に読んでおきたい日本文学

 若い頃に読むべき本というのは、人生に数回開く本かもしれません。もしかしたら何度か読み返したくなる本が、中高生でもすでに何冊かあるかもしれません。人生に数回開く本は、若い頃に読んで共感し、いつかまたその本を開いた時違った視座からその作品に出会う本ともいえるのではないでしょうか。私が読み返したい日本文学を三つあげるとするなら、村上春樹、福永武彦、三浦綾子です。いずれも、十代の頃に読みました。高校生の頃は芥川も好きでしたし、高橋源一郎は、小説よりもライトな書評が好きで、わりと読みました。しかし、あえて若者におすすめするなら、迷わずこの3人を挙げます。もし、これらの本を読まれたらなぜ若い頃に読んでおきたい作品なのかはわかるんじゃないでしょうか。

村上さんの独特な文体と世界観

 世界的に熱狂的なファンの多い村上春樹の小説は、まだ若い頃は純文学というより中間小説と言われていたと記憶しています。私は初期の作品がとても好きでした。長編もありますが短編もエッセイもとても読みやすく、普段本を読まない人にもおすすめです。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』という初期の長編小説を私は若い頃夢中で読んだ記憶があります。はじめは、2つの物語が交錯していて場面が行ったり来たりして一体どういうことなんだろうと思うんですけど、終盤になるとそれがつながるんです。終わり方もまたいいんですよ。『ノルウェイの森』もいいけどね。

福永武彦は、池澤夏樹のお父さんですよ

 何、池澤夏樹を知らないですと?今すぐ本屋に行きましょう!そして、池澤夏樹と福永武彦の本を買って来ましょう。どちらの作品も素晴らしいです。当然ですが、親子とはいえ、まったく違うタイプの作風です。福永は『草の花』と『忘却の河』が有名。『愛』とか『孤独』とか、私が語ると軽い感じがしますが、重いテーマを美しく描いた作品です。作品はいずれも短く読みやすいです。『忘却の河』から入って他の作品も読むのがおすすめ。

新潮文庫の100冊というキャンペーン商品に入っていることが多い『塩狩峠』

 『塩狩峠』は、高校の読書会の指定図書だったと思います。これは読んだことがある人多いんじゃないでしょうか。『愛』『信仰』『自己犠牲』の話で、実話に基づいて書かれた小説です。あらすじだけ聞くと、道徳的過ぎて拒絶したくなる話ですけど、三浦綾子は導入から30ページで読者の心をがっちり掴んで離さないんですよ。展開が速いですし、筆力がすごい。あっという間に読み終わります。続きが知りたくて夜更かしして読みました。三浦作品の『氷点』は何度も映像化されています。『泥流地帯』もよかった。

 ちなみに『塩狩峠』というと『トロッコ問題』(ウィキペディアにとびます)を思い出します。2歳児の答え(YouTubeにとびます)がエドワード・ゴーリーのブラックユーモアみたいで、不覚にも笑ってしまいました。みなさんならどうします?

まとめ

 またいつか海外文学なども、ご紹介できればと思います。せっかく秋だし読書をしてみると世界が変わるかもしれませんよ。

冗長

俺の話は長い

 生田斗真さん主演のドラマではなく、全俺が泣いた感動の小理屈(ようするに、今回はどうでもいい話ってことですね)なぜ私の話は長くなるのかということについて真剣に考え、分析し、報告するという内容です。何言ってんだアンタと思われた方は、もっと有益なサイトで有益な情報を得てください。今日は、このくだらないトピック、くだらない報告に終始する予定です。「内容が薄い」「人間性が薄っぺらい」「しょうもないことを引っ張りすぎ」「ちょっと何言ってるかわかんない」と気軽にツッコミながら読み流してくださればと思います。まったく、オチなどありません。

接続詞の多用が一文を長くしている

 原因は接続詞の多用にあったのです。私のブログは一文が概して長いのです。その原因は、接続詞でガンガン文をつないでしまっているからなのです。わかってはいたのですがついつい接続詞使いがち。しかも、使用する接続詞がだいたい同じ(語彙力)。当ブログでは小学生の作文にありがちなきっちりかっちり接続詞を多用しております。文章ヘタクソか!(その通り)読みにくいのは、そこにあると気づきました。

順接なのに「が」を使うのはNG!

 接続助詞の「が」は逆説で使うものです。そもそも順接で「が」を使うのはよろしくない。そのスマートな解決法は、そこで文を区切るという方法。「が」なんかでつないでダラダラ書いている文だから長くなる。読みにくいだけならまだしも、間違っているんじゃお話になりませんわねぇ。

実際、会っても私の話は長い

 そうなんだ。そこなんだ。ここで、この場をお借りして反省の弁を述べさせていただきたい。なぜ話が長いのか、話が短くはならないのか、ない知恵を絞っております。接続詞以前の問題で、一文を短くした普段の会話でも延々マシンガントークしとるやないかと。まったく返す言葉もございません。しかも早口で。

私の話には、たいていオチがない

 探しても見つかりません。口を開けばネガティヴ・ワード。逆のことを考えて最悪の事態に備えたい性格ですから。本当は黙っていたいのです。本来は無口です。黙っているだけなら三日間ぐらいずっと黙っていても平気です。それでも無理をして喋っていると必然的にオチのないどうでもいい話になってしまうのです。話が途切れないように気を使うぐらいなら少しだまって人の話をきくべきだと思います。はい。

情報発信は難しいね

 若者は、何をそんなにつぶやいているのでしょうか。ツイッターで連絡を取り合っているのか、それとも普段のアクティビティーを記録しているのか。情報発信と言っても塾は塾。やることはたいてい勉強と決まっている。だからと言って「次はXXの試験です。頑張りましょう」という話をブログに持ち込みたくはないのです。それはきっと自分が他人のブログで一番読みたくない類のものだからなのでしょう。このブログにはオチすらないのに何を言っているんでしょうね。

まとめ

 今日は内容はともかく、接続詞をいつもより減らして文を書いています。少しスッキリしているでしょう。内容はぺらっぺらですけど。次回のブログは、内容のあるものにしたいです。頑張ります。

授業中、ちっちゃい子を泣かしたことがあったなぁという話

 もう随分前の話です。私が塾講師になってまだ数ヶ月の頃、夏期講習に来た小学3年生ぐらいの、とても賢い、とてもしっかりした女の子に国語を教えたことがありました。まだ、テレビではいわゆる「おバカタレント」が人気で、時の首相が「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだというのが話題になっていた平和な時代。宿題をしてこなかった生徒の反省文に、「宿題を忘れました。それは、テレビを観ていたからです。それにしても最近のテレビは面白い…」と綴っていたこともありました(それはそれで読み物としては面白かったので、塾長と一緒に彼の文章力を褒めて終わる結果になりましたが)。そんな頃、小学生の女の子を私は泣かしてしまうということをしでかしてしまいました。やっちまったなー。

私の誤解

 女の子は、その日ご機嫌で塾に来ていました。そして、いつも通りテキストを広げて一所懸命文章を読んでいました。答えを書いている間、隣の空手部の英語をみていたのですが、まだ中3で部活が終わったばかりで、ちょっと目を離すと適当に気を抜いてしまうので、厳しく言ったり大きな声を出したりしていたのでした。

 女の子が解き終わったので、サラサラっと目を通して、丸バツをつけ、間違った箇所はどのように間違っているのか、出題者の意図などを説明して(国語だったので)「ここはこのように読み解いてください」と言って、説明が終わってまた隣の男子生徒を、結構きつく注意したりしていたのです。すると、しばらくして突然授業が終わるか終わらないかぐらいの頃に、女の子が泣き出したのです。うーーん、小さい子は隣で厳しく叱ったりしたのでびっくりして泣いたのだと思いました。その塾は、小・中学生が多く、みんな比較的近所から通う補習塾だったのでちょっとお姉さんぐらいの小学生が寄ってきて、「大丈夫?どうしたの?」なんて聞いて慰めてくれていました。塾長さんも、新卒の優しい男性だったので、次の授業の間、女の子とお話をしてくれていました(本当にすまないねぇ)。「申し訳なかった。ちょっと横で叱りすぎた。でも、中3だしなぁ」なんて思っていましたが、彼女はそんなことで泣いていたのではなかったのだと後で聞かされることになりました。それは、意外な理由だったのです。

彼女が泣いていた理由

 単純に、悔しかったのです。彼女は、私が何かしたことに対して泣いていたのではありませんでした。学習塾のテキストは学校で使っている教材よりもレベルの高いものが多く、普段学校で解いている問題はきっとまだ小学3年生ぐらいだとよほどのことがない限りみんな満点をとれるような作りになっていたのだと思います。だから、初めて来た夏期講習で難しいテキストを解いて、「バツ、バツ、サンカク…」と、丸以外のものがテキストにつけられて、びっくりしたのと悔しかったのとで思わず涙が止まらなくなったようなのです。でも、さすがに指示語などの問題は、正確に把握しないといけませんからやはり採点を変えるわけにはいきません。しかしその翌日、彼女はまたご機嫌で塾に来て当たり前のように授業を受けていました。

できる子は負けん気が強い

 そういう子は、伸びます。たとえば普段は冗談ばかり言っていた高校生が、部活最後の試合で負けた日に、ほとんど口も利けないほどショックを受けて、とても悔しがっていたというのを思い出します。すごく頭の切れる生徒でした。何かあってすぐに自信を失って諦めてしまうより、悔しい思いを隠さずに表現し、同じ間違いを繰り返さないように努力できる粘り強い子が合格を勝ち取れるのだと思います。

 今日は、「粘り強く継続しつづけること」が書かれた記事をたまたま目にしたので、以前塾であったことを思い出して、「あの粘り強い子はどうしているのだろう」と思って、ブログに書いてみました。

粘り強く続けられることは本当に大事なんだ。

 

 

「おじさん系雑誌」のオンライン版で学ぶ、効率よく学習する方法

 私が勝手に「おじさん系雑誌」と呼んでいる雑誌には、若者や受験生などに役に立つ情報が満載であったりします。中でも効率よく学ぶ学習法などがよく載っているのは、ビジネスマンは資格を取得したり、短い時間で効率よく仕事をするためにそういった雑誌を読むからなんだと思います。『東洋経済』や『プレジデント』などは、銀行や歯医者さんの待合室などにも置いてありますが、受験生がそうしょっちゅう銀行や歯医者さんに入り浸っているとも思えないので、オンライン版をときどき読むことをお勧めします。最近、長時間勉強しているのに、定着しないという悩みを聞きました。「もっと効率よく学習できたら」ということですよね。それについて、「おじさん系」では、どのように書かれているか、ちょっと調べてみました。

5分で覚える人と徹夜してもダメな人の違い

 なかなか刺激的なタイトルですが、プレジデントオンラインの記事です。これは、7回読みで有名な東大首席卒業の山口真由さんのインタビューをまとめたものです。

 「無理をする勉強法は、最も効率の悪いやり方です。人の記憶というのは、脳に負荷をかけて無理やり詰め込んでも定着しない」しっかり覚えたいなら、「短時間の覚える作業を、日を置いて数回繰り返す」「覚える情報を何らかの個人的な体験と結びつけて覚えやすくする」ということが書かれています。

 やはり、無理をして徹夜しても作業しているだけで頭は働かないんでしょうね。

物覚えがいいのは、早歩きの人

 これは「東洋経済」の記事。この記事では、持久力系トレーニングをしたグループの海馬が大きくなっていたと書かれています。それから、これを言ってしまえば身も蓋もないんですけど、「1日10時間勉強してもダメな子」の本質的理由ーひたすら「書いて覚える」の危険なワナという、なかなか辛辣なタイトルの記事。これも東洋経済に書かれています。そこで言われているのが、間違った勉強法は

1.テストに出ない問題集をやっている(これはいかーん)

2.問題集を1回しかやっていない(間に合わない人にありがち)

3.新出単語や新出漢字を覚えることから試験勉強を始める(え?だめなの?)

4.問題集をたくさんやろうとする(学習塾や学校が1冊を徹底的にとよく言っているのを聞きますね。ようするに、これも反復です)

5.いきなり覚えようとする(全体を把握して構造化しろと)

まとめ

 だいたい世間一般でいわれていることと大差はないのですが、キーワードは「反復」「運動」「集中」ですね。うすうす気づいていたけど、運動しないと覚えられないというのは、ある。

 

中学生に「アナタハ神ヲ、信ジマスカ~?」と聞かれました

 あなたは神を信じますか?もし、そう聞かれたらどう答えますか?私は、神を信じません。そう答えました。私は神を信じませんが、神的な力が働いていて、科学では説明できない現象があるということは信じます。信心深くはないですし、非科学的だと思うけれど、「そんなことをすればバチが当たる」というのは、なんとなく感じます。例えば、お墓を傷つけたり、汚したりしても、「バチが当たる」ということは非科学的であると思いますが、どこかで「バチが当たる」気がするし、気持ち悪いのでそんなことをする気にはならないと答えました。

幽霊は信じますか?という質問に対して

 「幽霊はいないと思いますが、幽霊を見たという人は本当に見たのだと思います」と答えました。ちょっと不思議そうだったので、こう付け加えました。「自分は幽霊はいると思わないし見たことがないけど、幽霊を見たという人は嘘をついているのではなく、実際に見ているのでしょう。見た、見ないというのは、実際人間の脳が処理するものなので、幻覚や幻聴などは、本人は見えていると感じているはずですし、聞こえていると感じているのでしょうから。だから、『私は幽霊を見た』という人がいたら、『ああ、この人は本当に幽霊を見たんだろうなぁ』って思うよ」と、それに関しては生徒は納得したとも納得しなかったとも取れるような曖昧な反応だったのですが、さらに、質問は続きます。

それじゃあ、UFOは?

 UFOを見たという人は、きっと何かを見たんでしょうけど、宇宙人が乗ってきていて地球に入り込んでいるとかいうことはないんじゃないかと私は思いますと答えました。 昔、科学の先生が「人間と同レベルの文明を持った生物がUFOに乗ってこられるぐらいの距離にいるとは考えにくい。それよりも遠い場所からそのUFOが来たと仮定すると相当なスピードで飛んできているはずで、もし仮に飛んできたと仮定すると、そのスピードに耐えうる乗り物に乗ってこなければならないし、その圧力を受けて飛んできた場合、地球に降りた時には、急に釣り上げられた深海魚みたいに内臓が飛び出したりしているのではないか」と聞きましたとお伝えしました。それでも、「僕たちが想像もできないような力があるかもしれないじゃないですか」というので、「実際見たっていうことが証明されたわけではないし、今のところ目撃情報に信憑性がないというだけであって、宇宙のどこかには存在しているかもしれないけれど、見たと言っている人や写っている写真は、何か別のものである可能性が高いのでは?」と、だんだん投げやりというか、同じような答えになってきました。信じないけど見た人のことは否定しない。そういえば、神を信じないって外国人には言わないほうがいいって聞いたことないですか?

「外国ではあまり神を信じていないと言わないほうがいい」という教えを守った結果…

 質問攻めに合いました(笑)。これは、語学の先生から「無神論者というのはあまりヨーロッパでは理解されないと思いますので、説明を求められるからきちんと説明できないのであれば、ある宗教に所属はしているが信じていないと言ったらあまり説明の必要がないのではないか」と言われたからです。外国人に、神を信じるか本当に聞かれて「神道の信者だよ。信じてないけど」と答えたら「神道ってどんな宗教?」「汎神論」「汎神論ってどんなの?」「八百万の神がいるってことじゃないの?」「八百万の神をもっと詳しく」「例えば、一つのものに一つの神様が宿っていることじゃない。例えば、鉛筆には鉛筆の神様。トイレにはトイレの神様がいるんやで(テキトー)」と、この辺の話になるとお互いに「この先この続きは要る?」という感じになってしまい、話題が変わってしまいました。

 そのあと、その人に聞いたんですよ「あなたはクリスチャンなの?」と。そしたら「いいや、神様なんか信じないよ」と当たり前のように言われました。そして、その兄にも聞いてみましたが、そこでも「信じない」と言われてしまいました。

 時代が変わったのか、その兄弟が特殊だったのか。特別に信仰してない人は「神は信じない」でいいと思います。

みなさんなら、どう答えますか?