本番に強い子と本番に弱い子

受験というのは本番一発勝負です。

NPBやJリーグのように
シーズン通して戦うようなリーグ戦ではありません。

受験本番にどれだけ点数が取れるか、
受験生全体で何位かで結果が決まります。

このような形態を取ると、
実力十分の人が実力を発揮出来なかったり、
逆にジャイアントキリングが起きたりするのは、
甲子園などのトーナメント方式一発勝負の
スポーツでもたまに見られますね。

受験の場合だと「本番に強い・弱い」
と言われることが多いでしょうか。

この本番に強いか弱いかというのは、
勿論 精神的な強さが大きく関わるでしょう。
緊張して力が発揮出来ない人や
逆に大舞台に張り切って覚醒する人もいます。

しかし、もう一つ大きな無視できない要因があります。
それは「適性」です。

スポーツで例えるなら(私は野球が好きなので野球で例えますが)
野球日本代表が国際試合で実力通りの結果にならないことがあります。
それは特に投手に多く、ボールが普段使っている国内のボールではなく、
海外の滑りやすいボールが試合球として使われ、
投球の感覚が狂ってしまう場合です。
他にもマラソンなら開催地の気候であったり、サッカーなら芝の長さ、
競馬だと特に顕著に馬場やコース、距離などなど...

競技を取り巻く環境次第で結果が大きく変わります
それは受験においても同じことが言えるでしょう。

いつもの学校、いつもの教室で受ける定期テストでは上位だが、
いざ本番の受験ではダメだった。

統一模試では成績が悪く合否判定もEだったが、
いざ蓋を開けてみれば合格していた。

このような例は勿論本人の実力、努力も大きいですが、
「適性」も関わったことでしょう。

ではこの「適性」とは何か。

一概にいうことは難しいですが、
例えば数学において計算のスピードが速いというのは、
共通テストへの適性があると言えます。
共通テストの数学は問題量の割に時間が短いです。
しかし、問題自体は誘導が大量に付いているマーク式なので
数学的思考よりも計算のスピードが求められます。

英語で配点の中で長文の割合が多いならば、
語彙や読む速さがあれば有利になります。
対して、文法知識は文意を読み取ることが出来たらカバーしやすく、
文法知識の欠如が即失点には繋がりにくいでしょう。
逆に文法問題が多いなら、文法が分からないと得点しにくいです。

この「適性」を軽視することは危険です。
入試問題というのは学校や大学ごとに大きく特徴が異なります。
その分析をよくせずに受験に臨むことで、大きな不利を抱えかねません。
「敵を知り、己を知れば百戦しても危うからず」とは孫子の言葉ですが、
敵を知らずに足元をすくわれないようにしたいですね。
終わった後に「本番に強いね」と言われるように。

やる気はどこから生まれるか?

勉強のやる気というのは、そう簡単にわくものではありません。
勉強しておけばよかった、という後悔は沢山わいてきますが。

そのような後悔の念を抱えて、
子育てをしている大人は、ご自身のお子さんに
「やる気を起こして勉強して欲しい!」と思われるでしょう。

しかし、実際に親の言うことを素直に聞いて勉強に励む子供はごく少数です。

この問題に対する解答は、凄まじい数が世に溢れています。
教育に携わる者にとって永遠のテーマですから、
それに対する自分の考えは表明したいものです。
(私もその一人です)

最近はこの問題に対して経済学が関わるようになりました。
流行りの「行動経済学」というやつです。

この学問の研究によって判明したことは沢山あります。
例えば、「成績が良ければお小遣いをあげる」という
家庭内制度は子供の成績を下げます。
なぜなら、子供にとってこの制度は
「お小遣いをもらわなければ、成績は悪くてよい」
という意味に変化していくからです。

ならどうすれば行動経済学的に正解なのか、
という話はここではしません。

というのも、別に行動経済学は完璧な学問ではありませんから。
(完璧な学問など存在しませんが)

もし仮に行動経済学が完璧なら、
それを駆使した大学の行動経済学の講義は
学生をやる気にさせ、素晴らしい学習機会になるはずです。
しかし、私は大学で行動経済学の講義を一回落としましたし、
次の年単位を取ることだけを念頭に置いて受講しました。

あくまで大多数に効果的なだけで、
必ず効果があるわけではないのです。

流行りの否定だけでは建設的ではないので、私自身の考えも述べます。

そもそも、動物というのはやる気がないものです。

肉食動物のライオンは、満腹で快適な状態なら動かずダラダラしています。
その様子は動物園で見ることができます。
餌があり安全が保証されているなら無駄にエネルギーは使いません。

サラブレッドの競走馬は、本能的にレースで全力疾走している訳ではありません。
本来、馬が全力疾走するのは外敵に襲われたときです。
それを人間が調教して全力疾走させているので、
現役の競走馬には凄まじいストレスがあるとされています。

人間も同じです。
今の人類になって1万年ほど、
勉強を始めたのはここ数百年からです。
本能的にダラダラしますし、無理に全力を出せばストレスになります。

ではどうするのか?
今、子供たちが勉強していることも原初は余暇で労苦ではありませんでした。

狩猟採集している人類が興味本位で種から植物を育ててみたり、
古代ギリシア人たちは農作業の傍らに星の位置をよく見てみたり、
偉大な科学者も通貨管理局に勤めながら科学を探求してきました。

これらは今は教科書に書かれていることですが、
探求した人間がいるから教科書に載っています。

今いる子供たちにとっても最初から勉強は労苦ではなかったはずです。
小学一年生から勉強が嫌いでやりたくないと言う子はいないです。
なぜなら、最初は簡単なことからやるため理解できるので興味を持てました。

それが段々理解できなくなると、興味がそがれていきます。
「できた!」という喜びはあまり変わらないのに、
子どもからしたら労力は増えていく一方です。

社会人なら誰しも経験しますが、最初の頃の給料は嬉しかったはずです。
しかし、仮に量も責任も年々増えていくのに、給料一定の会社に勤めますか?
たとえ勤めていてもやる気は起きないし、手を抜くでしょう。

子どもにとっての勉強も同じことが言えます。
大人にとっての労働給料の関係は、
子どもにとっては勉強理解です。

出来て嬉しい、分かって嬉しいという報酬なしに
勉強のやる気は起きません。

つまり、いかに勉強させるかよりも
どれだけ分かる喜びを提供できるかが重要になります

その為には褒めることや簡単な問題を出すことが有効です。
いきなり完璧な形で解答できることを期待してはいけません。
答えを見ながら、教科書を見ながらの学習でもいいのです。

理解や到達点を見えやすくしてあげる。
その為に正解を見せてもいいのです。

やらない理想の勉強よりも、楽でもやる勉強。
実現できない理想は毒になりかねません。

現代文は『暗記』が武器になる?

「現代文ってどうやって勉強していいのか分からない」
「現代文は才能」
「現代文は本を沢山読めば出来る」

現代文ほど個人で勉強しにくい教科もない。
これが一般的な評価だと思います。

同じ国語でも古文や漢文は、単語や文法の暗記でどうにかなる。
現代文で出来る暗記なんて漢字くらい、と考えられがちです。

でも実際、現代文にも『暗記』が出来ます。

というのも現代文で出てくるテーマはそんなに数が多くないからです。

このテーマというのは、例えば「異文化交流」「男女平等」「環境保護」などなど
現代社会や世界が抱えている問題に焦点を当てたものがほとんどです。

そして、それぞれにパターンがあります。

「異文化交流」なら大抵、比較される文化が2つ出てきて、
1つはほぼ日本文化で、出題文の筆者は日本人です。
さらに交流するもう一つの異文化が出てきて、
その文化と日本文化の共通点や異なる点が出題文中で語られています。

日本人である筆者が、異文化の中で過ごす内に気づいた
「外から見た日本文化」というのがよく出てきます。
(例えば、西洋と比較して日本人は自分の意見を主張しない、とか)

その後に、筆者が2つの文化を比べてそれぞれを批評します。
大体、長所と短所を1つずつか、日本文化の改善すべき点をあげます。
ここが筆者の考えって奴です。

そして設問を読んでみると
「2つの文化の共通点と異なる点をあげよ」
「筆者の考えを説明しなさい」
なんて問題が出題されがちです。

このようにテーマごとに文の構造と出題パターンはかなり似ています。
「文化」なら2つの比較、「環境」なら自然と人工の対立、
「平等」なら現代社会の抱える矛盾や問題…

というように「お決まりのパターン」が存在します。
これを知っておくと、出題文を読んだ時に
展開を読みやすくなり理解しやすくなります。

さんざん見たドラえもんのアニメの展開が読めるように、
現代文も展開が読めるようになります。

のびたがドラえもんに頼って、ひみつ道具で調子に乗って
最終的に失敗するんでしょ?といった具合に、

破壊されている自然環境があって、それは人間社会の都合だけど
最終的に人間に悪いことが返ってくるんでしょ?(森林伐採や温暖化)
と展開が読めるようになります。

このパターンを知っているかいないかで理解のしやすさは段違いです
理解がスムーズなら、筆者や設問の意図が把握しやすくなり、
高得点の解答に繋がっていきます。

このパターンの暗記方法ですが、
手っ取り早いのは社会の「倫理」を勉強して
人類がどのように思想を進歩させてきたのかを知るのが近道です。

詳しくはまた…

偏差値で志望校を決めていいのか?

受験を控えている中学生や高校生、そして保護者の方々、
志望校ってどうやって決めますか?

人それぞれの夢や目標があり、そこから志望校がリストアップされ、
その中で自身の成績や学力から受かりそうなところを第一志望にすると思います。
そして、その成績や学力という指標は、「偏差値」で決めるという人がほとんどでしょう。

例えば、自身の偏差値が57で、
行きたいと思っている学校のうちの一つが偏差値55なら、
まぁ受かるかな?となりますね。
でも本当に行きたい学校の偏差値が60だったらどうでしょう?
ちょっと厳しいかな…と思いますよね。

こんな風に偏差値をものさしにして、志望校や受験校を決めるのが主流でしょう。
ただこの決め方、大きな落とし穴があります。
ずばり、その学校の偏差値は正しいのか?

一例として、大学受験で東大なら偏差値70で、
高校受験で佐賀西なら偏差値69です。
これは東大受験と佐賀西受験が同じ難易度ということではありません。
(そもそも大学と高校だし)

偏差値というのは、あくまで相対評価でのものさしです。

東大と佐賀西の偏差値が数字では70と69でほぼ同じになる理由は、
大学受験する人全体で東大に合格する人の偏差値が70位で、
佐賀県立高校を受験する人全体で
佐賀西に合格する人の偏差値が69位ということです。
そもそも、比較する集団が違うということです。
言い換えるなら甲子園での150㎞のストレートはめちゃくちゃ速いけど、
プロ野球だと平均位ということですね。

偏差値は60なら全体の10%、70なら全体の1%です。(厳密には違いますが)
大学を受験する人全体の1%くらいが東大に受かるから偏差値70!みたいに決めているんですね。

この時点でこう思うでしょう。
「そんなテキトーに決めているの?」

実際かなりテキトーに決めているみたいで、
某大手予備校が発表する大学受験偏差値は、
数人の先生がなんとなくで決めたものを
20年以上使い回しているみたいです。
受験の偏差値なんてわりと雑に決まっているものです。
それでもそこそこ精度が良いのでずっと使われています。
(=偏差値通りの結果になる)

ただこれは集団の結果を予測するのには適していますが、
個人の合否予測には不適切です。

偏差値70の受験生100人は60%位で東大に合格する。
(100人中60人位が合格する)

この予測は受験生を送り出して、
その結果を広告にする学校や塾によっては非常に良いものさしです。
なるべく全体の結果をよくしたいので、
不合格になるくらいならレベルを落としてでも
「合格者」の数を増やしたいですし、
逆に難関校の合格者数を増やしたいと思えば、
可能性が低くても受験させようとするでしょう。

しかし、受験生一人ひとりにとってこの予測は有用でしょうか?

得意科目や苦手科目、問題形式などなど偏差値以外にも
受験戦略を立てるために使える情報はあります。
偏差値だけに注目していると足をすくわれるかもしれません。