うれしいから笑い、悲しいから泣くのは「錯覚」!

文春Special2017夏 橘玲特別監修『もっと言ってはいけない 脳と心の正体』を読みました

 kindle本ですが、かなり読み応えのある本でした。

 『もっと言ってはいけない 脳と心の正体』は、橘玲さんの監修になっていますが、多くの著名人の多くの視点で脳と心について書かれています。わたしたちヒトをデザインしたものを昔、神と呼んでいましたが、ダーウィン以降それは「進化」と呼ばれるようになりました。この本では、幸福になるために進化がどのように脳を設計したかを知り、幸福への鍵に迫るという橘玲氏の新幸福論から始まります。

 人はうれしいから笑い、悲しいから泣くというのは「錯覚」で、人は「笑うから」うれしく、「涙を流しているのに気づいたから」悲しい。「わたし」の実体は「無意識」であるということについても詳しく書かれています。驚いたことに、「無意識は、意識(理性)をはるかに超える高い知能を持っている」と。たとえば、子供が言語を習得するときなども、文法を教わったわけでもないのに、自然に習得することなんかもですね。

 幸福は遺伝するというのは、何となくそんな気はしていました。「生まれつき幸福なひとはずっと幸福で、不幸なひとはいつも不幸」ですって。残念です(笑)。それは、セロトニン濃度が高い人が幸福感が高いという遺伝的要因は変えられないからといわれれば納得です。もともと脳内セロトニン濃度の低い日本人ですが、この「不幸の遺伝子」は「成功の遺伝子」でもあるとも述べられています。幸福で満ち足りてると、現状を変える必要ないですからね。よくも悪くも、ひとは幸福にも不幸にも慣れてしまうものだから。「美しさと幸福はたいして関係がない」ということも頷けます。整形などをしても、すぐにその状態に「順応」してしまうからですね。しかし、「不幸にならない生き方」は、「不幸にならないために幸福をあきらめる」という戦略(笑)。うーーむ。確かに、ストレスは減りそうですけど、それはどうなんでしょう。そこだけは、納得いかないなあ。仏教僧は不幸ではなさそうだけど、これから仏教僧のような生き方が流行るんでしょうか。でも、昨今の瞑想ブームも、幸福と関係があるのかも知れませんね。

 幸せになるために、自分の本体は無意識であると認識した方がいいのですって。無意識って自覚しないから無意識なんじゃないのかと思うでしょう?しかし、鍛える方法があるのです。スポーツ選手や棋士が行なっているような同じ課題の反復練習をすること、ですって。要するに、「勘」のようなものを鍛えていくんですよね。これは、池谷裕二先生の章ででてきます。池谷先生の話で、脳は何のためにあるのかという話も面白かったのですが「エントロピー増大を速めるため」という壮大な話に、私は置いてけぼりになってしまいました。

 とにかく、この本はかなりボリュームがあって、この他にもいろいろ興味深いことが書かれています。監修の橘玲さんや池谷先生の話がとても印象に残ったので、若干ネタバレなんですけど、ここに書いてみました。

 

小学生にプラトン

かつて、読書感想文のお題に何気なく「プラトンとか読んじゃえば?」などと言ってポカンとされた話

 以前、個別指導塾で大抵高校生ぐらいの生徒さんと普通に大人が話すような会話をして英文法を説明したりしていた私ですが、春休みの生徒の入れ替わりの時期には、小学生を受け持つことがありました。読書感想文の宿題が残っているといわれたので、プラトンをお勧めしてなんだかポカンとされてしまった私のプレゼン能力の低さ。今回はこれを読んでくださっている方に、プラトンの本を読んでいただければと思ってこれを書いています。

 「プラトンなんか、読む気にならない」と大人でも思う人は多いのではないでしょうか。私もその一人で、かつてプラトンなど一生読むことはないと思っておりました。当然、プラトンが何を書いたかなんて全然興味がなかったですし、ソクラテスの弟子でしょうぐらいな知識しかありませんでした。ソクラテスなんて、あんなに有名なのに著作はひとつもなく、なぜ死ななければならなかったのかもよくわからず、ただ「無知の知」という言葉だけを世界史の教科書で覚えたという記憶しかありませんでした。しかし、これが読んでみると面白いんですよ。本を一冊も書かずにあんなに有名。じつは、プラトンがソクラテスのことを書いていたのです。対話篇といって、やや乱暴な言い方で説明すると、ソクラテスがいろんな人に議論をふっかけて論破するという(厳密に言えば、相手の意見のほころびを見つけて「行き詰まり(アポリア)」へと導く。忙しい現代人なら「代案出してから言ってください」と言うようなオチ)大変厄介な“哲学当たり屋おじさん”の話です。「そんなことしてるから殺されるんだよ」と思われるでしょうが、服毒で自ら命を絶ったとなっています。

 プラトンの有名な作品には『国家』というものがあり、これは「『正義』とは何か」がテーマとなっています。そして、『メノン』や『プロタゴラス』は「『徳(アレテー)』は教えられるか」ということがテーマになっています。

 プラトンを読むと「『善いこと』とは何か」という考えにいたります。「正義」もそうですし、「徳」もそうです。ちなみに「徳」というのは、一般的にいわれている「道徳」ではなく、人間の能力や技術のことを指すのですね。

 例えば、『メノン』で議論される『徳』は教えられるかという議論では、『徳』とは何か『徳』の本質について尋ねます。結局「善いもの」には違いないのだけど、実際のところよくわからない。よくわからないものを教えることができるのかという議論になります。ソクラテスの使えるフレーズ「わたしはひどく無知で、徳そのものがおよそいったい何であるかということさえ知らない」と。

 そこで、我々はメノンと一緒に『徳』とは何か、を考えるのです。で、結局『徳』は教えられるのか?という問いに対する結論は。

 「わたしはひどく無知で…」

  はい、死刑!

※ブログ村に参加しています。クリックしてくださると励みになります。

↓  ↓  ↓  ↓ ↓ 

 

懲役太郎とOEDの話

オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー編纂秘話に無理矢理こじつける話題のバーチャル・ユーチューバーの話題

『博士と狂人』サイモン・ウィンチェスター/著 を読んで

 本日は、「死体を山に埋める誤り」などでバズっている懲役系(?)Vtuber懲役太郎氏と、世界最大の英語辞典『オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー(OED)』編纂にまつわる書籍『博士と狂人』について語っていこうと思います。

 懲役太郎氏は、現在登録者数5万6千人以上を誇るバーチャル・ユーチューバーで今なお服役中。刑務所内から配信という、ちょっと変わった(いや、随分変わった)ユーチューバーです。そのことと、OEDの何が関係あるの?と思われる方もいらっしゃると思いますが、英語史に詳しい方ならピンとくる話かも知れません。今日は、その話。

 この懲役太郎という男性。私は、刑務所内から配信という「設定」なのかと思っていましたが、どうやら本当に服役中のようです。バーチャルなので、自分に似せた囚人服のアニメーションが獄中から発信されているわけですが、そのアニメーションを書いている漫画家「俺太郎先生」と「刑務官」のことを「先生」と呼び、他の受刑者のことを「懲役」と呼び、話題のニュース、事件や事故、刑務所内の話などを話すというスタイルです。

 前置きが長くなりましたが、なぜOEDなのか。そして、「狂人」と「OED」がどう関わっているのかについて説明していこうと思います。

 「博士と狂人」とは、イギリス人の編集主幹マレー博士とアメリカ人陸軍大尉で外科医のマイナー博士のことです。マレーは貧しい家庭に生まれ、学校へは14歳までしか行っていないのですが優秀であったため17歳で地元の中学校に雇われ、20歳で校長になります。教員では食べていけないことから、ロンドンで銀行員になり、独学で言語の知識を身につけ言語協会の評議員になり、ケンブリッジ大学で教えることになります。そうしてOEDの編纂主幹になっていきます。

 一方、マイナー氏はアメリカ人でボストンの名家の出身。「連邦軍」に軍医として入隊し、南北戦争の極限状態で狂人となって退役。静養していたロンドンで、妄想から彼は人を殺してしまいます。結局彼は精神病院に送られたのですが、病院も彼を大切にし、彼は読書生活を送ります。そこで偶然見つけた辞書編纂ボランティア募集に応募したのがきっかけで、この壮大なる世界最大の辞書編纂を獄中といいますか、精神病院から文通という形で支えていくというストーリーです。

 懲役太郎氏は、辞書の編纂はしていませんし、今のところその予定もなさそうですが、なんとなく「刑務所から配信」という不思議な設定と「精神病院」から辞書編纂の手助けという狂った境遇が少し重なってしまいました。

 ミステリーのような展開と、辞書編纂の過程をたどるという壮大なるロマンと、なぜか重なるポケベル世代の累犯ユーチューバー。隔絶された社会から、何かを発信し続けることの圧倒的なものすごさを感じずにはいられません。

 「長く引っ張った割には、共通項まるでないやん」と言われそうですが。似てませんかね。

 

※ブログ村に参加しています。押していただければ励みになります。

↓  ↓  ↓  ↓

ダメ人間によるダメ人間のための本のご紹介

『習慣の力』チャールズ・デュヒッグ/著

 本日は、ダメな習慣から抜け出せない私が自戒の意味も込めて、ここに名著『習慣の力』(原題;The Power of Habit)をご紹介する次第です。学習習慣をつけたいとお考えであれば、きっと心に響く箇所があるはず。月刊ぷらざ7月号でも少し触れていた内容です。そもそもこの本を読もうと思ったきっかけは、原文の抜粋が自治医科大学の過去の入試問題に使用されていたからです。生徒とああだこうだ言いながら読んだ思い出があります。「ああだ、こうだ」の具体的内容自体は失念してしまいましたが、いろいろはっとさせられる内容であったとその時は思いました。

 まず、冒頭から4年間で体重を30キロ絞り、大学の修士課程に入学し、家も買ったという女性の話が出てきます。いや、これは結構大変なチャレンジではないですか。その前に、その女性、ぽっちゃりを通り越してあきらかに肥満だったのです。子供1人分ぐらい減量したことになりますね。そしてその女性以外にも、国立衛生研究所に支援を受け、依存症、喫煙者、過食者などの患者を対象に追跡調査を行ったと書いてあります。彼らに共通することは、比較的短期間で生活の立て直しができたということなのです。なんだか、のっけから続きが知りたくなる内容ではないですか。そこで語られているのは、「キーストーン・ハビット」といって要になる習慣、例えばタバコをやめるという「一つの習慣に専念したことで、他の行動もプログラムしなおすことができた」という研究結果です。

 衝撃的だったのは、デューク大学の論文によると人の行動の4割が習慣によるものだということなのです。いきなり4割と言われてもぴんとこないかもしれませんね。たとえば朝から晩までの出来事を追って行くと、着る服を選んだりランチのメニューを選んだり、中には重大な決断を迫られることもあります。われわれは、「食べる・食べない」「運動する・しない」「テレビを視る・視ない」「勉強する・しない」「本を読む・読まない」という小さな決断をしながら行動していきます。最初は小さな決断も積み重ねられてそれが習慣化するのです。1、2回やった・やらないでは何の変化も感じられないかも知れないですが、積み重ねられ習慣化されたときに、その結果が大きく変わり生活自体が変わってくるのです。

 自治医科大学が英語の問題文として採用していた箇所は、「意志力こそが個人の成功に求められる、もっとも重要なキーストーン・ハビットである」というペンシルベニア大学が行った研究のくだりでした。そこでは、優秀な学業成績をおさめる学生は自制心が強く、IQでは学業成績を予測できないということが述べられています。「自制心は成績について、知能才能よりも大きな影響を与える」と。つまり、優秀な人は我慢強い傾向が見られたがIQの影響はより少なかったということです。うすうす気づいていたことではありますが、自制心はできる人の重要なファクターなのです。もう、堪え性のない私はお恥ずかしい限りです。

 結局、「習慣を変えるのは簡単ではないし単純でもない。しかし、習慣を変えることは可能で、その方法もわかっている」ということが述べられている本でした。「習慣を変えたいなら…」と、最後の方にまとめられていますが、具体的な方法とその事例こそが、この本の内容なのです。

 この本の著者は心理学者や精神科医ではなく、ニューヨークタイムズの記者なので、学術的な専門書としてではなく、一般向けにわかりやすく書かれていて非常に読みやすいものとなっています。できないのは才能ではなく、悪い習慣なのだと知れば、習慣を変えることでできるようになる可能性は十分あるのです。

 すべてのダメ人間に、学びと救いを与えてくれる良書。まぁ、これを読んだからって実行できるという保証はまるでないわけだけど。

ブログ村に登録しました。押してくだされば励みになります。

↓ ↓ ↓ ↓

PVアクセスランキング にほんブログ村