富士山滑落おじさんのこととかインフルエンサーとかについて考えてみました

 今、大人気の動画配信ですが、最近ニコ生配信をしていた『富士山滑落おじさん』が遺体で発見され、話題になっていました。子どもの憧れユーチューバーも注目を集めるには話題性のあることや、人と違うことをしなければ誰の目にもとまりません。『数』は『力』であり、それは商売に通じるところでもあります。『滑落おじさん』が目立ちたくてやったことなのかどうかはわかりませんが、目立ちたくなくても『数』を増やそうと思えば目立たなければならないということに気づきます。

 塾を運営する私も、あまり人前にでるようなことが好きではありませんが、結局人を集めなければならないので、人に認知されるために自分の顔を出して広告を打ち、他人より目立たなければならないと考えます。事業者の友人は、2つ選択肢があれば迷わず「目立つほう」と答えます。看板の役割は、その看板の指す場所を際立たせることですが、看板屋さんはいいます。「おしゃれは目立たない」と。良し悪しはともかく、これからの時代、人の注目を集めたければ、なりふり構わず目立たなければならないのです。たとえ、それがカッコ悪くても。

過激になっていく動画配信とバズって儲ける手法

 動画を見てもらうためにボヤを起こしてしまう配信者や過激発言で注目を浴びたい政治家。登録者数の多いインフルエンサーに絡んでフォロワー数を伸ばす弱小ユーチューバーなど、世間をお騒がせすることで注目を浴びることは、一気に支持を集めるのにもってこいの手法だと思います。熱狂的なファンがいる人には、必ずアンチがいます。インフルエンサーに徹底的に擦り寄っていくか、徹底的に叩くことで、かなり効果的にまだ知られていない自分を売り込むことができます。将来的に動画配信をして遊んで暮らしたいと思っているキッズたちは、動画は『目立つ』ために、かなりの時間と他人から批判を浴びることに耐えられるだけの鋼のメンタルが必要だということを忘れてはならないと思います。

N国党も、もはや何がしたいのかわからなくなってきている

 私は、あまり政治的な人間ではないので、N国党についてどうこう思っていたわけではないのですが、最近ちょっと方向性を見失っているような気がします。NHKのスクランブル化はもうどうでもよくなっちゃったんでしょうか。N国党に対しても、早くからするどい切り口で批判してきたユーチューバーで経営コンサルタントのえらてんさんも、最近ではメンタリストに執拗に絡んでおられ、かなり過激な強い口調でさらにいろんな人を叩いていらっしゃる印象。でも、そんなに過激な発言をして攻撃したりすると普通なら消耗してしまうところですが、おそらくそんなことは承知の上であえてやっていることだと思います。エンターテインメントとして「あはは、またやっとるわ」ぐらいに眺めておくのが正しい動画の楽しみ方なんでしょうね。ユーチューバーになりたいキッズの方々も、どこの誰かもわからん人に絡まれた時に平気でいられるかどうかよく考えた方がいいでしょう。

結局、人気商売というのは「その人らしさ」が支持されると伸びる

 「サザン」の桑田佳祐は、何を歌っても「サザン」っぽく、野沢雅子は何を語っても「オラ、悟空」っぽく、見てすぐに「ああ、あの人だ」「あの人ならあんな感じ」「あの人ならきっとこういうんだろうな」と想像できるぐらい、その人の独特な世界観を持っています。それがあれば、過激なことをする必要はないんでしょうけど。

 それでも、あまりにも数を追いすぎると過激な方向に行ってしまうんでしょうか。それぐらい、注目を引くというのは難しいことなんです。誰も死なない(もちろん本人も)、誰も傷つけないように動画を配信することができるなら、動画配信というのは、宣伝効果の高いツールだと思います。決して楽な商売だとも楽しい商売だとも私には思えませんね。

 

「憮然とする」は、「ぼんやりする」の意

 文化庁月報の連載記事で「言葉のQ&A」に載っているトピックです。朝日、毎日、教育新聞など、さまざまなサイトで取り上げられている「憮然」の意味。本来は、失望してぼんやりしているという意味と書かれています。「国語に関する世論調査」で、不快感を表す言葉として用いられていることが多い「憮然とする」という言葉ですが、私も、「ぼんやりとしている」という意味では使っていませんでした。

なぜ、不快感を表す言葉として用いられるようになったのか

 このことについて、文化庁のサイトでは

「腹を立てている様子」という意味として用いられるようになってきた原因としては,『「憮然」の「ブ」という音が,「ぶうぶう言う」などの「ぶうぶう」(「小言や苦情を言い立てるさま。ぶつぶつ。また,その人」(広辞苑 第6版))などを連想させる可能性があることや,また,「ぼんやりとしている様子」としては「呆然」などを使うのが一般的であるために,「憮然」という語「ぼんやりとしている様子」という意味が結び付きにくいことなどがあるかもしれません。

 と書かれていました。なるほど、その音の持つニュアンスが意味に影響するというのは、なんだかわかる気がします。しかし、それだけではなく、この平成30年度の「国語に関する世論調査」の概要がPDFファイルとなって公開されていたので、さらに他の調査も見てみました。

読書量がじわじわ減っていた

 言葉だけでなく、読書に関する調査も行われていました。読書量が減っていると答えた人が67.3%。結構な数字です。電子書籍、漫画、雑誌などを含め、相対的に読書量が年々減少しているのがわかります。驚いたのは、読書量を増やしたいと思うかという質問に対して「そうは思わない」と「あまりそう思わない」「わからない」人が半数近くいるということです。もう、読書量を増やしたいとすら思っていないというのが、単純に「読書の時間が取れない」ということなのか「読書に価値を見出さない」ということなのかがわかりません。

「聞いたことがない」を連発する人続出

 最近、特に感じていたことなのですが、中学生などと話していると、そんなに多くはないのですが、ときどき何を聞いても「聞いたことがない」「知らない」という子がいるんです。この調査の中ではいくつかの言葉に関して「使うことがある」「聞いたこ とはあるが使うことはない」「聞いたことがある」「聞いたことがない」のどれにあてはまるかという調査項目もありました。

 我々が普段読書をしているのなら、あるいは普通に生活をして会話をしているならどこかで見聞きする言葉でも、20%以上「聞いたことがない」と回答した言葉があります。これは「聞いたことがない」ということに加え、「聞いたことがあってもそれを記憶する予備知識が不足している」ということがあるのではないかという気がします。

まとめ

 言葉は変わっていくものなので、その言葉本来の意味で使われなくなる語があるのは自然な流れだと思います。どちらかというと、読書量の減少の方が問題なのではないかと思ったのですが、みなさんはどのように思われたでしょうかね。では、今日はこの辺で。

追記

 昨日、Microsoftのexcelは無限ループからいとも簡単に脱したと書いていましたが、それからアプリが開けないことが判明。サポート窓口に問い合わせることにしました。

 

すららネットのメリット・デメリット

 昨日に引き続き、本日は導入塾から見たすららネットのいいところ、悪いところを書いていこうと思います。すららネットって、みなさん知っていますか?ネットを使って学習するスタイルはかなり浸透して来ましたが、「何が違うのかよくわからないし、どれも似たり寄ったりだったら有名なやつにしとこうかな?」とか、「カリスマ講師が説明してくれるのにしよう」とか、「安ければなんでもいい」とか、思うところはあると思います。まず、安ければなんでもいいという人は、まずは学校をうまく使いこなすことが大事だと思います。学校教材や宿題をやって、市販テキストを買って解いてみるのもいいと思います。では、「カリスマ講師」がCMをやっているような「配信型教材」と、どのように違うのかを説明したいと思います。

 

 

配信型教材とすららネットの違い

 まず、配信型教材のメリットは、

 ①かなりハイレベルな内容にも対応している

 ②遠くの予備校まで行く必要がない

 ③スタディ・サプリのように、安いものもある

 ④大学受験に対応しているものが多い

 そして、デメリットですが、

 ①講師によって質にばらつきがある

 ②黙って授業を聞いていると、ぼんやりしてしまうことがある

 ③直接質問できない、あるいはサポートしてくれる人の能力にばらつきがある

 ④安い教材もあるが、一般的に高い

 では、すららネットのメリット

 ①受け身の授業ではないため、眠くなったりぼんやりしたりすることが少ない

 ②学習困難者にもわかりやすく、学習者のレベルに合わせた問題を出してくれる

 ③解いた問題のデータの記録が残るため、データ分析がしやすい

 ④アニメが説明し、ドリルで演習するので、指導力のばらつきがでるような類のものではない。

 すららネットのデメリット

 ①あまり高度な内容に対応していない

 ②デザインが古い

 ③遅い、バグが発生することがある

 ④ゲーミフィケーションを謳っているが、ゲーム性が低く、依存性、中毒性がほぼない

と、意外と致命的なデメリット「遅い」ということを書きました。しかし、スキップする機能がありますし、現在も改良されてきている部分もあります。

まとめ

 すららネットは、実際にパソコンに解答を入力していく教材なので、受け身の教材ではないです。どちらかというと、大学受験などのレベルに対応していないですが、基礎がどこかの時点でわからなくなってしまった人がさかのぼって学習したり、レクチャーに従って手を動かしてどんどん先に進みたい小・中学性などに向いている教材だと思います。つまり、今どれぐらいの学年にいるかで随分変わってくると思います。実際、高校生には人気がないと思います。すららネットを効果的に使うなら小・中学性の間ですね。レクチャーを聴いて、どこまで先取り学習できるかで、その効果がまったく違うものになると思います。

 

 

 

すららネットはどんな教材?導入塾が説明するすららネット

 当塾ではすららネットを導入していますので、すららネットをやってみたい人向けに記事を書いてみようかなと思います。まず、学校で導入されている場合を除いて選択肢としては導入塾で使う場合と自宅で通信講座としてネット申し込みする場合があります。もちろん、同じものを使いますので、すららネットのみやりたいという人は、時間と場所を選ばないネットで契約することも可能です。導入塾で学習するメリットは、すららを使ってわからなかったところをさらにテキストやプリントなどを使って強化することができることと、誰かが見ていないと怠けてしまったり続けられないということがないことです。では、次にそもそもすららネットはどんな教材なのか、どのような人に向いているのか、学習障害や不登校でも学べるのか、実際使った人の感想などをまとめてみたいと思います。

すららネットはそもそもどんな教材なのか

 対話型学習ツールで、レクチャーを聞いて自分で解くというシステムです。 一方的に配信された授業を聞いて覚える形式ではなく、実際に手を使って解いてみる教材なので、途中で寝てしまったりする心配はあまりありません。ゲーミフィケーションを謳っているわりに、ゲーム性は低く、残念ながらちゃんとした学習教材です。と、思っていたら「ニャンドロイドに悪態をつきすぎて垢banされたらどうしよう」とニャンドロイドというキャラクターの自動応答と毎回チャットしている生徒もいます。意外に、「レベルが上がったら次の宝石は何に変わるんだろう」とか、大人が見ても何とも思わないようなことを細かく見ている生徒もいます。楽しみ方はいろいろですから、ゲーム性があながち低いともいえないのかもしれません。他の生徒に勝ってランキングで上位に上がることはモチベーション維持につながります。クリアユニット数のランキングでは上位に入れない人でも学習時間数は、努力すれば誰にでも獲得するチャンスがあると言えます。

どのような人に向いているか

 まず、パソコンの前に座っていられるのが前提です。それができなければ厳しいです。でも、パソコンの前に座っていられない人がすららネットを使ってパソコンが好きになることもあると思いますので、それは試してみないとなんとも言えません。だから、パソコンを使うのに慣れている人やタイピングが速い人は楽しく学習できる可能性が高いです。操作に慣れて、ランキング上位になってくると、結局知識や努力も必要ですがあとはタイピング速度、計算力、暗算の速さ勝負のようになってきます。

 それから、塾であれば塾の先生に、ネットで利用するのであればすららコーチに質問することができます。もし、あなたが(あるいはお子様が)あまり先生に直接質問するのが苦手なら、すららの学習画面下の「質問する」ボタンから質問することができます。

 

 

学習障害や不登校でも大丈夫か

 学習障害の生徒や不登校、病気などで学校に行けない人でも気軽に使える教材だと思います。絶対大丈夫と断言できるものではありませんが、軽度の学習障害であっても学習意欲さえあれば、楽しく学習できるように工夫して作られている教材だと思います。よくできた教材で、とてもわかりやすいです。

実際に使ってみた感想

 実際に使ってみました。塾講師として自分が使ってみた感想ですが、工夫すれば使いやすく、苦手な科目はゆっくり詳しく、得意な科目はストレスなくドリル中心に楽しく学べるのではないかと思いました。どちらかというと、小・中学生の先取り学習に向いているような気がします。もちろん学習障害の生徒が活用するということにも大いに期待されていると思いますが、理解力が高い生徒の先取り学習ツールとして活用してこそ結果が早期に出やすい気がしています。

使っている生徒の反応

 「これは、勉強じゃない。最近は、ゲームにも飽きてきたし、ランキングもちょっと上がってくると嬉しい。せっかく抜いたと思ったら抜き返されているのが悔しい。俺は結構今月頑張りましたよ」とのこと。

使ってみる?

 すららネットは、直接このサイトのリンクからすららネットのサイトに飛んで直接申し込むことが可能です。塾で学習しないと心が折れる生徒の皆さんはすららネット導入塾に通うこともできます。当塾からの告知ですが、上峰スタディ・クーポン対象者の生徒さん向けにスタディ・クーポンプランをご用意しております。上峰スタディ・クーポンご利用の際は、登録事業者との契約が必要になりますので、すららネットのサイトへの直接契約ではなく、英哲會に直接お電話かお問い合わせフォームでご連絡をお願いします。※上峰SCプランは、通塾プランとは内容も料金も異なります。

 

クマムシさん月へ行く

 

 クマムシは英語でtardigradeといいます。とても興味深い生物で、放射線に強く、水分不要の緩歩動物と呼ばれています。その名の通り、ゆっくり歩く動物で、微小な生物です。tardi遅い、-grade歩行、で、クマムシ。centi百の、-pede足、で、ムカデ。こうやって、パーツに分けると単語は覚えやすいですよ。

 2019年8月8日のNews Week日本版に「月面衝突した探査機に残されたクマムシが月で生き延びている?」という見出しの記事があったので、今日はそのことについて語っていこうと思います。なぜ、クマムシかというと、2017年英検準1級の過去問にtardigradesに関する長文が出題されていて、面白い生き物だと思って気になっていました。そしたら今度は、宇宙で置き去りになっているということで、とてもびっくりしました。それは宇宙にとって全く問題のないことなんでしょうかね。

 もちろん、「クマムシについて日本語で聞かれても、私は知らんよ」という人も多いかと思います。試験の問題に未知語を最初に持ってくるというのは、読み手がその単語が何か知らないという前提で文章が組み立てられています。だから、知らない単語を片っ端から覚えましょうということではないんですね。よくあるパターンなのですが、タイトルや冒頭の1文に、まったく見たことも聞いたこともない言葉が出てくるものは「あ、もうだめ。知らないや。終わった」となる必要はありません。よく見ると「ウォーターベアとしても知られるクマムシは…」と始まっています。要するに、そこから先、「知らない単語」の説明をしていく文になります。つまり、この単語は「みんなが知らない単語」というのが前提で話が進むので、知らなくて当然と思って読んでいく問題です。そして、今の私は月に放出されたクマムシと宇宙の行く末を案じながらこれを書いています。長文の解き方うんぬんより、そっちの展開の方が面白そうです。

クマムシが月に置き去りになった概要を手短に

 2019年4月、月に衝突したイスラエルの民間月着陸探査機「ベレシート」が搭載していたクマムシは、月面で生き延びているかもしれない。というのが、News Week日本版に載っていたのですが、そのことについて、CNNでもとりあげている記事を発見しました。そこには「月に託した人類再生計画」ということまで書かれています。なに、墜落じゃないの?わざとなの?

 クマムシと一緒に送り込んだ情報も墜落に耐え、遠い未来に人類を再生させる目的で使われることを願うとスピバック氏は言う。

「うまくいけば、ライブラリーは無傷のまま月面に着地して、何十億年も存在し続けるかもしれない。遠い未来に、我々の子孫、または人類が滅びた後に進化した未来形の知的生命体が回収してくれる可能性もある」

「我々が送り込んだDNAと細胞を使えば、クローンを作成して人類や動植物をよみがえらせることもできるかもしれない」とアーチミッション財団の共同創業者スピバック氏は話している。とあります。

 そこで、「惑星検疫」の国際ルール上ではどうかというと、ざっくり言えば火星はアウト、月はギリOK(きちんと準備をすれば、クマムシを持ち込んでもよい)ということらしいです。

 

 

 

クマムシは生命力がつよい

 ところで、クマムシのどこが面白くて、なぜ宇宙に持っていく生物として選ばれたのか。それは、クマムシの生態の面白さに関係しているようです。クマムシが注目されているのは、クリプトビオシスと呼ばれる状態です。放射線や極端な暑さ寒さ、無酸素状態や乾燥などの厳しい状況下にあっても、活動を停止する無代謝状態になって、また水分などを供給されると活動を始めるということなのです。そこが最強の生命体と呼ばれる所以ですね。ジャン・ケン・ジョニーみたいなやつですね(究極の生命体)。ところで、クマムシ博士のサイトとツイッターも無代謝状態になっていたので、誰か水とかあげて再開してほしい。

 しかし、むやみに宇宙に放置してもいいもなのでしょうか。何かの拍子に水を帯びて、微小なガチャピンが「あったかいんだからぁ」を熱唱しながら大量繁殖したら、イスカンダルにコスモクリーナーを取りに行く羽目になりませんかね。それは漫画の世界ですよね。うちのダイソン貸しましょうか?今なら、間に合いそう。とか、そういう問題でもないんでしょうけど。

 なんだか、収集つかない話になってきたので、今日はこの辺で。クマムシさんのこと、面白かったら調べてみてね。

 

参照:

ニューズウィーク日本版オフィシャル(2019年8月8日2019年8月14日

CNN>ODD NEWS (2019年8月8日

 

引きこもりを外に出そうとする愚

 児童生徒のひきこもりについて調べてみようかと思っていたら、ネット上では中高年の引きこもりが深刻だという内容で溢れていました。もう30年も引きこもっている人もいれば、年を取ってから引きこもった人もいらっしゃるようです。「趣味では外出する」という、「それは全然引きこもってないと思うよ」というレベルまであって、引きこもりの線引きも難しい気がします。疑問に思ったのは、「引きこもりをどうやって社会復帰させるか」という考え方を調査している内閣府が押し付けている感じがするところですね。引きこもって働けない人たちを無理矢理外に引っ張り出そうという考え方そのものがもう古くなってきているのではないかと私は思うのですが。

 学校にせよ職場にせよ、外向きの性格でなかったり、ちょっと他人と違う外見や考え方を持っていたら不利であることに違いありません。不利な場所で戦うのは、本人にとって何の得にもなりません。搾取する側、人を牛耳る側は引きこもっている人が外に出た方が都合がいいのでしょうけど。もう、その考え方も機械が活躍する時代になれば終焉を迎えるかもしれませんね。「戦い方を間違うな」ということでしょう。

 引きこもりは個性なのではないかと思うのですよ。外交的な人と内向的な人がいて、内向的な人はあまり外に出たがらなかったり、外に出たら傷つけられてひたすら我慢したり。たまたま、外で働くのが苦手なだけ。合わせるのが苦手なだけ。ただ、それだけなんじゃないかと。

引きこもっても稼げる術を

 今は、インターネットも発達していて何かひとつ抜きん出ている能力があれば、それを武器にネットを使って稼ぐこともできるのではないかと思います。技術と材料があれば、家から一歩も出ずに物を作ることもできるし、インターネット経由で売りさばくことも簡単にできます。ノウハウを学ぶことも書籍を買うことも借りることも容易にできるのではないでしょうか。引きこもりの人たちというのは、もともと社会に出て働いて我慢して疲れ果てた結果引きこもっているのに、また疲れる場所に引っ張り出すのが果たしていいのでしょうか。外に出て外で働くのが絶対いいのだと誰が決めたのでしょう。マルクスは資本主義を「働くものは儲からず、儲かるものは働かない」といいました。資本主義が『競争』を基本原則としている以上、強者と弱者に別れていきます。弱者は強者と戦うから弱者であって、強みを生かせる別の場所で戦う必要があるのではないかと思うのです。集団の中にあって負け続ける人は発想を変えて勝てる場所にさっさと移った方が健全なんじゃないでしょうかね。

学生である間に自分の売りになるものを身につけよう

 結果的に、稼げるようになるには、一日中夢中になれるものを見つけることが大事です。別に、夢みたいなことを言っているのではありません。今は大抵のものは安く手に入る世の中になりましたし、ちょっとのことでは人は満足しなくなりました。だからこそ、自分にしかできない何かを見つけて才能を伸ばしていく必要があるのです。好きなことと得意なことが一致すればいいのですが、なかなか好きなことでも上手に出来ない場合があります。そんな時は、好きなことよりまずは得意なことを仕事にした方がいいのです。嫌いではない得意な分野で稼ぎ、好きなことを他人より長期間続けることによって好きなことで稼げるようになったらいいのではないのかな。弱点を克服しようとして、時間ばかり無駄に使って得意なことまでダメにしないことが、これからの時代必要なんだと思いますよ。

まとめ

 引きこもりは家で楽しくスキルを磨く。それでいいと思うよ。

 

 

NHKにフラメンコ・ギター

 「NHKをぶっ壊す!」と言って物議を醸している「NHKから国民を守る党」党首、立花孝志氏ですが、最近ではまたマツコ・デラックス氏の「一体これから何をしてくれるかで判断しないと、今のままだと単なる気持ち悪い人たちだから」という発言に対し、マツコ氏の出演する放送局におしかけて出待ちをするという形で応戦しました。賛否両論ありますが、「NHKの受信料徴収」に関しては、納得いかないところも多く、それに関しては立花氏の意見は筋が通っていると思われます。しかし、マツコ氏の「これから何をしてくれるかで判断しないと」というのは忘れてはいけないことですね。「NHKのスクランブル化以外の政策」が見えないからです。宗教じみているというマツコ氏の発言も、その聴衆の扇動の仕方がまさに宗教のそれっぽいということなのでしょう。「自民党をぶっ壊す」と言って人気を集めた小泉純一郎元総理のいわゆる「郵政選挙」が思い出されます。良し悪しはともかく、今日はその話ではないんです。前振り長いけど。今日は、「N国党」と同じようなことを言っていた科学の先生がいらっしゃったなぁというのを思い出したので、先生はお元気かなぁと思ってこれを書いています。

毒舌教授

 もう退職なさった先生なのですけど、とても風変わりな先生が昔いらっしゃいました。当時はコンプライアンス的に自由な発言をしてもかなり許される時代だったので、過激な発言を自由気ままになさっていて、大学ですのでアンチは履修しないけど、それでも大変人気がありました。私は、面白かったので履修していたのですけどね。さんざん毒をお吐きになるので近寄りがたく、私が授業で聞いたことを面白おかしく伝えるのを履修していない友達は毎回聞くのを楽しみにするぐらいでした。先生はフラメンコ・ギターを習い始めたのだと言って研究室でギターを披露してくださったこともあったのですが、ギターのことを熱く語っていらっしゃった時のこと、「うちにNHKの受信料の徴収員が来たらカミさんが俺を呼びに来るんだ」という話をしていらっしゃいました。

NHKにフラメンコ・ギター

 それで、その先生はNHKの人が受信料を徴収に来るとなんだかんだ言って支払いを拒否していらっしゃったようなのです。ある日、いつものように奥様から呼ばれ、いつものように追い返すために、とにかく払わないの一点張り。さらに、頭の回転が速く、口が達者で毒舌の先生にまくし立てられた挙句、かわいそうな徴収員は先生のフラメンコ・ギターを聴かされる羽目に。

「せっかく来てくれたんだから、まあ聴いていってくれや」って(笑)。デロデロデロリー…カカンカーン(←ギターの縁を叩く)ですよ。もう、興味なかったら苦行以外の何物でもないですね(笑)。そして、気持ちよくギターを披露した後の先生の一言。

「おまえ、俺のギターを聴いたんだから、金払え」

さすがに、徴収に来た人もびっくりしたのではないかと思います。ときどき、徴収員さんの中にはとても横柄で不快な気分にさせる人もいますが、上には上がいるものです(笑)。

「お前らがやっていることはこういうことだ。勝手に電波流しといて金払えって。悔しかったらケーブルにしろ」と。

 こうして、その日はお引き取りいただいたということでした。NHKがやっていることは、先生いわくそういうことなのです。小中学生のみなさんには、わかりやすかったでしょうか。先生は、今もお元気でまだ毒を吐きながらギターを弾いていらっしゃるんでしょうかねぇ。

 本日は、教授と呼ばれる“勝手おじさん”のお話でした。

 

「語彙力格差」について考えてみる

語彙力は、母親の接し方で決まる?

 プレジデントオンラインというサイトに、ちょっと気になる記事を発見しました。 ざっくり内容を説明しますと、小学校に上がる頃にはすでに語彙力でトップと最下位の差が9歳ほどついているというもの。なんだか薄々感じてはいましたが、それほどまでに大きな差があるとは思っていませんでした。お時間のある方はぜひリンク先の記事を読んでみてください。この辺の差が、比較的早期に出始めてしまうなら、親の責任は重大であるとも言えますね。

 この記事によると、母親の子供への接し方で子どもの語彙力に差が出てくるというもの。しかし、母親ばかりに押し付けられることではないような気もします。お母様も最近共働きで忙しく、また社会全体が何でも省略、何でも時短。つかっている言葉自体が少なく短くなってきているように感じます。

 じつは子供と接するときに沢山話しかけて沢山聞かせるのがいいと思いがちですが、母親は聞き手としてなるべく短く、即座に、簡潔に、応答した方がいいということが書かれていました。なぜならば、子供の応答時間を与えるからです。「ほとんどの先生はしゃべり過ぎ」ですって。むむっ。それは、私のことでしょうか(笑)。それから、ゆっくり明瞭に発話すること。これが大事なんだそうです。確かに、小さな子どもにはとても有効だと思います。小さい子どもは、アウトプットの機会が多いほど、語彙力が育つということなのでしょう。

 さて、それに関して反論とまではいかないのですが、私はある程度こちらから働きかけるべきだと思います。インプットがなければ、当然アウトプットもないわけです。子供は大人の真似をするのが大好きですし、言葉は伝染します。また、子供たちは、子供ながらに大人の反応を見て、自分の説明が相手の興味を引くことであるのか、自分の楽しさが相手に伝わっているのかをうかがっているようにも見えます。

 その一方で、あまり何も話してくれないお子さんも中にはいらっしゃいます。しかし、もともとお喋りでなくてもこちらから話しかけると、いろんな反応が返ってきて、彼らの独特な世界観を垣間見ることができます。

 ところが、私が見てきた中で、もともと社交的でおしゃべりだけど、何を聞いても「知らない」「見たことがない」「初めて聞きました」という謎の文化圏にお住まいの方々がときどきいらっしゃるのですよ。「いやいや、それは聞いたことがあるでしょう」「大ブームだったでしょう」「最近ニュースになってましたが」ということも、彼らは「初めて聞きました」という。なかなかの強者です。

 しかし、話をしていく中で、一つ気づいたことがあります。「聞いたことがありません」と言ってすぐに会話が終わってしまう子どもでも即反応してしまう言葉があるのです。それは、テレビから繰り返し流れてくるCMのキャッチコピーや商品名です。彼らはテレビ番組の内容は忘れても、繰り返され垂れ流されるCMは脳裏に焼き付けているのです。彼らはこうして、何も考えずに買わされる側の人間になっていくのでしょうか。

 いろいろ考えたのですが、もともとある程度の語彙力が備わっていなければ、いろんなことを見聞きしているのに、まったく記憶に残らないのではないかと思うわけです。語彙を増やすにはその前段階の語彙なり知識が必要なのではないかと。だから「見たことも聞いたこともない」を繰り返す諸君のために、我々大人は、その前の段階の知識を確認し、説明しながら話をする必要があるのかも知れません。

 即座に、短く、明瞭に。

 

 

 

 

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