お金とか知識とかを増やすという話「投資」について

今日は、「投資」のお話。投資といってもあまりピンと来ないし、投資は「博打(ばくち)」と思われがちです。身近じゃないし、ましてや子どもには関係のない話だと思われがちです。「投資」とは何か?例えば、カフェを始める時、内装や外装を目立つように「設備投資」します。すると、素敵な外観のカフェに行きたいと思う人が増えるかもしれません。「積み立て」や「株」なんかも、お金を預けると「金利」がつきます。そうすると、少しお金が増えます。それも「投資」です。あるいは、「知識」を得るために「教材」や「学習塾」に通います。それも一つの「投資」です。みなさんは「お金」と「知識」の積み重ねが、どれだけ未来に大きな影響を与えるかを考えたことがありますか?投資の話や勉強の重要性を一緒に学んで、今から始めてみましょう。

「複利」とは?

複利の力を理解すると、投資の魅力を理解できると思います。複利とは、元金だけでなく、その利益にも利益がついて増えていくことです。シンプルに言うと、100円を毎月30年間年利10%で積み立てていくと、月たった100円なので元本は36,000円ですが、30年後には6倍以上の22-23万円程度に膨れ上がるんです。

複利は「雪だるまのように」、最初は小さくても少しずつ大きくなり、最終的には大きな成果を生むのです。これを理解すれば、今からでも早いうちに始めておけば、10年後にはとんでもない違いが生まれることが実感できますね。

お金を増やすこと

次にお金を増やすことについて考えてみます。お金を増やす方法として、貯金が一般的に思い浮かびますが、実はお金を「ただ貯める」だけでは、インフレ(お金の価値が下がること)に負けてしまうことがあります。さらに、現在銀行では引き出す時の手数料が高く、金利が低いので銀行に預けておくだけではお金が目減りしてしまうのです。そこで、お金にも働いてもらうために、投資という手段を使うことがあります。例えば、株式投資では企業の成長を支援することができ、その結果として利益を得ることができます。もちろん、リスクは伴います。株式投資は長期的に見ると安定的に成長していることが多いので、積立投資をしていくことは効果的ですが、絶対に損をしないということではありません。株式投資は「丁半博打」のようなギャンブルのように思われがちですが、銀行預金というのも、元本保証のある「投資商品」と考えることができますね。

知識も雪だるま式に増える

お金と同じように、知識も積み重ねることで大きく成長します。投資では、勉強の積み重ねが利益を生むのと同じように、知識も雪だるま式に増えていきます。

例えば、「知識」は単に「新たな知識」が個別に積み重なっていくだけではなく、「前にためておいた知識」を元に「新たな知識」を加えて応用させ、どんどん増えていくのです。それに、知識は一生持っていることができ、盗まれることはありません。お金は失うこともありますが、学んだ知識は財産となって、歳を重ねても大きな力を発揮します。多くの成功者たちは、学び続けることが成功の秘訣だと考えています。彼らが常に勉強しているのは、知識が最大の武器だと知っているからです。学ぶことは、今後の人生にとって大きな価値を持つことになります。しかも、知識は蓄積され、他の人たちと共有し、さらに発展させることができるんです。

お金も知識も貯めると未来が変わる

投資と勉強、どちらも重要で、どちらも未来に対する投資です。お金は少しずつでも積み立てていけば増えていき、知識も少しずつ学んでいけば、いずれは大きな力になります。

小さな積み重ねが、将来の大きな差を生むことになります。投資を始めること、勉強を始めることが、未来の自分を助ける鍵となるのです。知識は一生の財産ですので、今すぐにでも、学びを始めてみましょう。知識は増えているのか増えていないのか目に見えるものではないから、知識が増えたかどうかは数字にしてみることです。そのために、学習時間の記録を取ったり、テストをして得点を確認してみるのです。もし、それでもピンと来ないと思ったら、貯金したお金を5%、10%などで5年間運用した場合の金額などを計算してみるといい。そうやって、お金を増やすことや貯めていくこと、金利の計算方法を学べば、学ぶこと=将来自分が得をすることというのがわかるでしょう。そうすればお金を無駄にしたり、時間を無駄にするのがもったいないと感じるようになるかもしれませんね。

偏差値で志望校を決めていいのか?

受験を控えている中学生や高校生、そして保護者の方々、
志望校ってどうやって決めますか?

人それぞれの夢や目標があり、そこから志望校がリストアップされ、
その中で自身の成績や学力から受かりそうなところを第一志望にすると思います。
そして、その成績や学力という指標は、「偏差値」で決めるという人がほとんどでしょう。

例えば、自身の偏差値が57で、
行きたいと思っている学校のうちの一つが偏差値55なら、
まぁ受かるかな?となりますね。
でも本当に行きたい学校の偏差値が60だったらどうでしょう?
ちょっと厳しいかな…と思いますよね。

こんな風に偏差値をものさしにして、志望校や受験校を決めるのが主流でしょう。
ただこの決め方、大きな落とし穴があります。
ずばり、その学校の偏差値は正しいのか?

一例として、大学受験で東大なら偏差値70で、
高校受験で佐賀西なら偏差値69です。
これは東大受験と佐賀西受験が同じ難易度ということではありません。
(そもそも大学と高校だし)

偏差値というのは、あくまで相対評価でのものさしです。

東大と佐賀西の偏差値が数字では70と69でほぼ同じになる理由は、
大学受験する人全体で東大に合格する人の偏差値が70位で、
佐賀県立高校を受験する人全体で
佐賀西に合格する人の偏差値が69位ということです。
そもそも、比較する集団が違うということです。
言い換えるなら甲子園での150㎞のストレートはめちゃくちゃ速いけど、
プロ野球だと平均位ということですね。

偏差値は60なら全体の10%、70なら全体の1%です。(厳密には違いますが)
大学を受験する人全体の1%くらいが東大に受かるから偏差値70!みたいに決めているんですね。

この時点でこう思うでしょう。
「そんなテキトーに決めているの?」

実際かなりテキトーに決めているみたいで、
某大手予備校が発表する大学受験偏差値は、
数人の先生がなんとなくで決めたものを
20年以上使い回しているみたいです。
受験の偏差値なんてわりと雑に決まっているものです。
それでもそこそこ精度が良いのでずっと使われています。
(=偏差値通りの結果になる)

ただこれは集団の結果を予測するのには適していますが、
個人の合否予測には不適切です。

偏差値70の受験生100人は60%位で東大に合格する。
(100人中60人位が合格する)

この予測は受験生を送り出して、
その結果を広告にする学校や塾によっては非常に良いものさしです。
なるべく全体の結果をよくしたいので、
不合格になるくらいならレベルを落としてでも
「合格者」の数を増やしたいですし、
逆に難関校の合格者数を増やしたいと思えば、
可能性が低くても受験させようとするでしょう。

しかし、受験生一人ひとりにとってこの予測は有用でしょうか?

得意科目や苦手科目、問題形式などなど偏差値以外にも
受験戦略を立てるために使える情報はあります。
偏差値だけに注目していると足をすくわれるかもしれません。

海外で「你好(ニーハオ)」と声をかけられたら

 外国に行くと外見がよく似た(似てない人もいるけど)極東アジア地域の人々というのは、外国人から見るとみんな同じように見えるのかもしれません。最近では、中国人、韓国人、日本人の見分けがつくという外国人も増えているようではありますが。では、あなたが海外に行ったとき、もし「你好!」って声をかけられたらどう答えますか?

 ① 失敬な!と思いながら「私は日本人です」と英語で答える

 ②「私は、日本人です」と英語で答え、日本、中国の違いを英語で熱く語る

 ③とりあえず「ニーハオ」と答えて流暢な中国語を話す

 ④とりあえず「ニーハオ」と答えて英語で何事もなかったかのように話す

 ⑤「私は日本人だ」と日本語で答えて日本語で悪態をつく

 ⑥何も言い返さない

 この中のどれかでしょうか、それ以外でしょうか。私なら、「ハロー」と返すか「ニーハオ」と返すかあるいは「こんにちは」と返すかはわからないですが、とりあえず相手は挨拶をしているので、挨拶を返すと思います。相手がいい人そうで時間があったら、何か一言「今日は暑いね」とか「調子はどう?」とか、付け加えるかもしれません。

 なぜこんなことをここで問いかけたかというと、中国人と間違われることはよくあることで、それを嫌がる人が多かったなぁと思ったからです。中国人の方は、なぜ日本人は中国人と間違われるのを嫌うのか、失礼な!と思われるんじゃないかと思いますが、理由は単純に「中国人は素晴らしい人も多いですが、ひどい人はとことん酷い。その人口規模からいって、酷い人を目にする確率がまだまだ高い」ということに尽きると思います。しかし、酷い人は案外西洋人に多いので、中国人に対してそのような感情を抱くというのは、やはり外見が似ているがゆえにというところは大きいのかもしれませんね。

相手は馬鹿にして言っている訳ではない

 日本人を見て「你好」と挨拶をしてくる外国人は、外国人を見るととりあえず「ハロー」と言う日本人とあまり変わらないと思います。英語は世界共通語だからと思って英語で話しかける人が大半だと思いますが、じつは英語よりも簡単な日本語で話してくれた方がわかりやすいという外国人もいらっしゃって英語でいきなり話しかけられて「また英語」と思われていることもあるかもしれません。そういうのとほぼ変わらないと思うんですよね。それに、そもそも東洋人があまりいない地域の人っていうのは、日本と中国の差もろくにわからない人がいて、おそらく日本がどこにあるのかもよくわかっていない人が多いのではないでしょうかね。

 

 

韓国人のある友人の場合

 韓国人の友人は、「日本人か中国人に間違われることが多いけど、韓国は人口が少ないからどっちかに間違われるのはしょうがない」と、まったく気にしていない様子でした。日本人の私から見ても、韓国の人と共有する文化は多いですし、我々は非常に似ています。顔は似てないかな。それに、地理的に近いですし、親戚や家族が日本で働いているという人、観光に何度も訪れている人もいるので、とても話が合います。そして、日本人が韓国人と間違われることは、韓国人がよほど多い地区に行かない限り、あまりないと思います。

まとめ

 外国に長期滞在などを考える際に、現地での過ごし方や現地の文化について考える機会は増えると思いますが、意外に見落とされがちなのが、近隣の国から来た人たちのことです。日本にいると近隣の国と揉めているような印象が強くなりがちですが、日本から遠く離れてみると、中国人も韓国人も似たような物を食べて、共通点の多い、たいして変わらない人たちに見えてきます。

 外国で「你好!」と声をかけられた時に、どのように振る舞うか。中国人にも話しかけてきた外国人にも誤解や失礼のない態度をとることは、外国語を学ぶ以上に重要だと思います。

 

 

敬老の日について語る

 敬老の日を英語でいうとRespect for the Aged Day。個人的には the old menとか、ダイレクト過ぎる表現じゃなくてふうんなるほどと思いました。ウィキペディア情報では、この敬老の日というのは、兵庫県発祥の文化となっています。はじめは「としよりの日」と呼んでいたそうです。今高齢者のことを「としより」って言うとなんだか失礼な言い方にとられそうですね。お年寄りとはいいますけど、「としより」って、お相撲ぐらいでしかもはや聞かないですもんね。

 そして、農閑期で気候もいいから9月15日になったとあります。現在では、ハッピー・マンデー制度で2003年から9月第3月曜日にうつりましたけど。9月15日を老人の日として、そこから週間が老人週間なんですって。

ちなみに、パラオでは…

 敬老の日にあたるSenior Citizens Day は、5月5日になっているのだそうです。

そして、国連でも…

 高齢者の権利や高齢者の虐待撤廃などの意識向上を目的として、毎年10月1日を「国際高齢者デー」とし、1991年から国際デーとして運用されているんですって。

 

100歳記念の銀杯が銀メッキに…

 なんということでしょう。実際、100歳が増え過ぎたということもあるんでしょうけど、2015年のネットニュースの記事で、せっかくの内閣総理大臣の100歳記念品の銀杯を銀メッキに変えて自治体もなにかと簡素化を進めているという記事がありました。そして、内閣総理大臣からの銀杯は今年もしっかり銀メッキになっていたようでした。そういうところはすぐ無駄づかいと言ってカットしちゃうのですね。「無駄遣い」との指摘を受け…ですって。高齢者に贈り物をしても無駄遣いと言われてしまうんですねぇ。ちゃんと、老人を敬おう。

さらに、100歳記念の銀杯が「メルカリ」に…

 出品されているのです(笑)。ちゃんと、老人を敬ってよ。これは、ちょっと驚きました。価格にバラツキはありましたが。しかも、売れている(笑)。

みんなも、お年寄りを敬いましょう。

 

高校生の謎質問に答えてみる

 

 先日、生徒さんから「好きな接続詞を聞かれて答えられなかったんですよ」という謎のぼやきを聞いてしまいました。彼女の友達間では「好きな前置詞」など、好きな品詞を尋ね合うのが流行っているらしい。そこで、前置詞はofと答えたらしいのですが、接続詞が答えられなかったのですって。何故好きな前置詞がofなのか、それもよくわかりませんが、withoutなどが人気だったらしく、of推しの彼女は少数派で、どうやらそれは彼女にとっては良かったようなんですけど(被らないのがいいということなんでしょうか、それともof+抽象名詞で形容詞になるんやでとかそういう知識を言い合っているんでしょうか)、接続詞が答えられなかったのがどうやら悔しかったようなのです。

 そこで、好きな接続詞を聞かれて「ああ、勉強してるじゃないか」と思われる返しを私なりに考えてみました。その質問自体、レアケースだと思うんですけど、要するに中学で学習する内容より、高校に入って学習した用法が絡んでいる方がいいのでしょう?  では、3つご紹介しましょう。

さりげなく「カンマフォー」と言ってみる

 中学英語にはほぼ出てこない「カンマの後のfor」は、理由を表します。前置詞としての扱いの多いforですが、接続詞として使われ、長文でひょっこり出てくる理由を表す, for(カンマフォー)。さりげなく言えればきっと素敵でしょう。そうなのかな。きっとそうなんだろうな。

次は、ちょっと厄介なas

 時、理由、様態、比例、比較の5つの意味で紛らわしい。長文中で使われていたら、どの意味で使われているか確認する必要がある要注意接続詞ですね。前置詞や副詞の意味もありますから、余計に紛らわしいです。理由を表すasは理由のsinceと同じように使いますが、becausesinceよりも、いろんな意味があって日本人にとって難しいです。そこをあえて、asと答えてどう使うかが説明できるようにしておくと、ちょっとカッコいいです。長文中に見かけたら、意味をその都度確認したい接続詞です。あ、ここ真面目に答えるべきなのかな。

仮定法が好きならproviding(provided), supposing

 えええ、これは分詞じゃなかったの?まだ、習ってないけど…とか、疑っているんだったら、辞書を調べてみてください。接続詞のところに載っていると思います。出どころは分詞ですけど、providing that …thatを伴ったり、伴わなかったりして使います。これを言ったら、少なくとも「答えられなかった」「ちょっと悔しかった」という思いはしなくていいと思います。

まとめ

 この質問に正解はないんでしょうけど、「好きな言葉は?」とか「好きな食べ物は?」の後に聞く質問だったら変人の集まりと言っていいでしょう。楽しい高校生活をお過ごしください。

 


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