本番に強い子と本番に弱い子

受験というのは本番一発勝負です。

NPBやJリーグのように
シーズン通して戦うようなリーグ戦ではありません。

受験本番にどれだけ点数が取れるか、
受験生全体で何位かで結果が決まります。

このような形態を取ると、
実力十分の人が実力を発揮出来なかったり、
逆にジャイアントキリングが起きたりするのは、
甲子園などのトーナメント方式一発勝負の
スポーツでもたまに見られますね。

受験の場合だと「本番に強い・弱い」
と言われることが多いでしょうか。

この本番に強いか弱いかというのは、
勿論 精神的な強さが大きく関わるでしょう。
緊張して力が発揮出来ない人や
逆に大舞台に張り切って覚醒する人もいます。

しかし、もう一つ大きな無視できない要因があります。
それは「適性」です。

スポーツで例えるなら(私は野球が好きなので野球で例えますが)
野球日本代表が国際試合で実力通りの結果にならないことがあります。
それは特に投手に多く、ボールが普段使っている国内のボールではなく、
海外の滑りやすいボールが試合球として使われ、
投球の感覚が狂ってしまう場合です。
他にもマラソンなら開催地の気候であったり、サッカーなら芝の長さ、
競馬だと特に顕著に馬場やコース、距離などなど...

競技を取り巻く環境次第で結果が大きく変わります
それは受験においても同じことが言えるでしょう。

いつもの学校、いつもの教室で受ける定期テストでは上位だが、
いざ本番の受験ではダメだった。

統一模試では成績が悪く合否判定もEだったが、
いざ蓋を開けてみれば合格していた。

このような例は勿論本人の実力、努力も大きいですが、
「適性」も関わったことでしょう。

ではこの「適性」とは何か。

一概にいうことは難しいですが、
例えば数学において計算のスピードが速いというのは、
共通テストへの適性があると言えます。
共通テストの数学は問題量の割に時間が短いです。
しかし、問題自体は誘導が大量に付いているマーク式なので
数学的思考よりも計算のスピードが求められます。

英語で配点の中で長文の割合が多いならば、
語彙や読む速さがあれば有利になります。
対して、文法知識は文意を読み取ることが出来たらカバーしやすく、
文法知識の欠如が即失点には繋がりにくいでしょう。
逆に文法問題が多いなら、文法が分からないと得点しにくいです。

この「適性」を軽視することは危険です。
入試問題というのは学校や大学ごとに大きく特徴が異なります。
その分析をよくせずに受験に臨むことで、大きな不利を抱えかねません。
「敵を知り、己を知れば百戦しても危うからず」とは孫子の言葉ですが、
敵を知らずに足元をすくわれないようにしたいですね。
終わった後に「本番に強いね」と言われるように。

やる気はどこから生まれるか?

勉強のやる気というのは、そう簡単にわくものではありません。
勉強しておけばよかった、という後悔は沢山わいてきますが。

そのような後悔の念を抱えて、
子育てをしている大人は、ご自身のお子さんに
「やる気を起こして勉強して欲しい!」と思われるでしょう。

しかし、実際に親の言うことを素直に聞いて勉強に励む子供はごく少数です。

この問題に対する解答は、凄まじい数が世に溢れています。
教育に携わる者にとって永遠のテーマですから、
それに対する自分の考えは表明したいものです。
(私もその一人です)

最近はこの問題に対して経済学が関わるようになりました。
流行りの「行動経済学」というやつです。

この学問の研究によって判明したことは沢山あります。
例えば、「成績が良ければお小遣いをあげる」という
家庭内制度は子供の成績を下げます。
なぜなら、子供にとってこの制度は
「お小遣いをもらわなければ、成績は悪くてよい」
という意味に変化していくからです。

ならどうすれば行動経済学的に正解なのか、
という話はここではしません。

というのも、別に行動経済学は完璧な学問ではありませんから。
(完璧な学問など存在しませんが)

もし仮に行動経済学が完璧なら、
それを駆使した大学の行動経済学の講義は
学生をやる気にさせ、素晴らしい学習機会になるはずです。
しかし、私は大学で行動経済学の講義を一回落としましたし、
次の年単位を取ることだけを念頭に置いて受講しました。

あくまで大多数に効果的なだけで、
必ず効果があるわけではないのです。

流行りの否定だけでは建設的ではないので、私自身の考えも述べます。

そもそも、動物というのはやる気がないものです。

肉食動物のライオンは、満腹で快適な状態なら動かずダラダラしています。
その様子は動物園で見ることができます。
餌があり安全が保証されているなら無駄にエネルギーは使いません。

サラブレッドの競走馬は、本能的にレースで全力疾走している訳ではありません。
本来、馬が全力疾走するのは外敵に襲われたときです。
それを人間が調教して全力疾走させているので、
現役の競走馬には凄まじいストレスがあるとされています。

人間も同じです。
今の人類になって1万年ほど、
勉強を始めたのはここ数百年からです。
本能的にダラダラしますし、無理に全力を出せばストレスになります。

ではどうするのか?
今、子供たちが勉強していることも原初は余暇で労苦ではありませんでした。

狩猟採集している人類が興味本位で種から植物を育ててみたり、
古代ギリシア人たちは農作業の傍らに星の位置をよく見てみたり、
偉大な科学者も通貨管理局に勤めながら科学を探求してきました。

これらは今は教科書に書かれていることですが、
探求した人間がいるから教科書に載っています。

今いる子供たちにとっても最初から勉強は労苦ではなかったはずです。
小学一年生から勉強が嫌いでやりたくないと言う子はいないです。
なぜなら、最初は簡単なことからやるため理解できるので興味を持てました。

それが段々理解できなくなると、興味がそがれていきます。
「できた!」という喜びはあまり変わらないのに、
子どもからしたら労力は増えていく一方です。

社会人なら誰しも経験しますが、最初の頃の給料は嬉しかったはずです。
しかし、仮に量も責任も年々増えていくのに、給料一定の会社に勤めますか?
たとえ勤めていてもやる気は起きないし、手を抜くでしょう。

子どもにとっての勉強も同じことが言えます。
大人にとっての労働給料の関係は、
子どもにとっては勉強理解です。

出来て嬉しい、分かって嬉しいという報酬なしに
勉強のやる気は起きません。

つまり、いかに勉強させるかよりも
どれだけ分かる喜びを提供できるかが重要になります

その為には褒めることや簡単な問題を出すことが有効です。
いきなり完璧な形で解答できることを期待してはいけません。
答えを見ながら、教科書を見ながらの学習でもいいのです。

理解や到達点を見えやすくしてあげる。
その為に正解を見せてもいいのです。

やらない理想の勉強よりも、楽でもやる勉強。
実現できない理想は毒になりかねません。

現代文は『暗記』が武器になる?

「現代文ってどうやって勉強していいのか分からない」
「現代文は才能」
「現代文は本を沢山読めば出来る」

現代文ほど個人で勉強しにくい教科もない。
これが一般的な評価だと思います。

同じ国語でも古文や漢文は、単語や文法の暗記でどうにかなる。
現代文で出来る暗記なんて漢字くらい、と考えられがちです。

でも実際、現代文にも『暗記』が出来ます。

というのも現代文で出てくるテーマはそんなに数が多くないからです。

このテーマというのは、例えば「異文化交流」「男女平等」「環境保護」などなど
現代社会や世界が抱えている問題に焦点を当てたものがほとんどです。

そして、それぞれにパターンがあります。

「異文化交流」なら大抵、比較される文化が2つ出てきて、
1つはほぼ日本文化で、出題文の筆者は日本人です。
さらに交流するもう一つの異文化が出てきて、
その文化と日本文化の共通点や異なる点が出題文中で語られています。

日本人である筆者が、異文化の中で過ごす内に気づいた
「外から見た日本文化」というのがよく出てきます。
(例えば、西洋と比較して日本人は自分の意見を主張しない、とか)

その後に、筆者が2つの文化を比べてそれぞれを批評します。
大体、長所と短所を1つずつか、日本文化の改善すべき点をあげます。
ここが筆者の考えって奴です。

そして設問を読んでみると
「2つの文化の共通点と異なる点をあげよ」
「筆者の考えを説明しなさい」
なんて問題が出題されがちです。

このようにテーマごとに文の構造と出題パターンはかなり似ています。
「文化」なら2つの比較、「環境」なら自然と人工の対立、
「平等」なら現代社会の抱える矛盾や問題…

というように「お決まりのパターン」が存在します。
これを知っておくと、出題文を読んだ時に
展開を読みやすくなり理解しやすくなります。

さんざん見たドラえもんのアニメの展開が読めるように、
現代文も展開が読めるようになります。

のびたがドラえもんに頼って、ひみつ道具で調子に乗って
最終的に失敗するんでしょ?といった具合に、

破壊されている自然環境があって、それは人間社会の都合だけど
最終的に人間に悪いことが返ってくるんでしょ?(森林伐採や温暖化)
と展開が読めるようになります。

このパターンを知っているかいないかで理解のしやすさは段違いです
理解がスムーズなら、筆者や設問の意図が把握しやすくなり、
高得点の解答に繋がっていきます。

このパターンの暗記方法ですが、
手っ取り早いのは社会の「倫理」を勉強して
人類がどのように思想を進歩させてきたのかを知るのが近道です。

詳しくはまた…

偏差値で志望校を決めていいのか?

受験を控えている中学生や高校生、そして保護者の方々、
志望校ってどうやって決めますか?

人それぞれの夢や目標があり、そこから志望校がリストアップされ、
その中で自身の成績や学力から受かりそうなところを第一志望にすると思います。
そして、その成績や学力という指標は、「偏差値」で決めるという人がほとんどでしょう。

例えば、自身の偏差値が57で、
行きたいと思っている学校のうちの一つが偏差値55なら、
まぁ受かるかな?となりますね。
でも本当に行きたい学校の偏差値が60だったらどうでしょう?
ちょっと厳しいかな…と思いますよね。

こんな風に偏差値をものさしにして、志望校や受験校を決めるのが主流でしょう。
ただこの決め方、大きな落とし穴があります。
ずばり、その学校の偏差値は正しいのか?

一例として、大学受験で東大なら偏差値70で、
高校受験で佐賀西なら偏差値69です。
これは東大受験と佐賀西受験が同じ難易度ということではありません。
(そもそも大学と高校だし)

偏差値というのは、あくまで相対評価でのものさしです。

東大と佐賀西の偏差値が数字では70と69でほぼ同じになる理由は、
大学受験する人全体で東大に合格する人の偏差値が70位で、
佐賀県立高校を受験する人全体で
佐賀西に合格する人の偏差値が69位ということです。
そもそも、比較する集団が違うということです。
言い換えるなら甲子園での150㎞のストレートはめちゃくちゃ速いけど、
プロ野球だと平均位ということですね。

偏差値は60なら全体の10%、70なら全体の1%です。(厳密には違いますが)
大学を受験する人全体の1%くらいが東大に受かるから偏差値70!みたいに決めているんですね。

この時点でこう思うでしょう。
「そんなテキトーに決めているの?」

実際かなりテキトーに決めているみたいで、
某大手予備校が発表する大学受験偏差値は、
数人の先生がなんとなくで決めたものを
20年以上使い回しているみたいです。
受験の偏差値なんてわりと雑に決まっているものです。
それでもそこそこ精度が良いのでずっと使われています。
(=偏差値通りの結果になる)

ただこれは集団の結果を予測するのには適していますが、
個人の合否予測には不適切です。

偏差値70の受験生100人は60%位で東大に合格する。
(100人中60人位が合格する)

この予測は受験生を送り出して、
その結果を広告にする学校や塾によっては非常に良いものさしです。
なるべく全体の結果をよくしたいので、
不合格になるくらいならレベルを落としてでも
「合格者」の数を増やしたいですし、
逆に難関校の合格者数を増やしたいと思えば、
可能性が低くても受験させようとするでしょう。

しかし、受験生一人ひとりにとってこの予測は有用でしょうか?

得意科目や苦手科目、問題形式などなど偏差値以外にも
受験戦略を立てるために使える情報はあります。
偏差値だけに注目していると足をすくわれるかもしれません。

センター英語

センター型マーク問題を復習しよう

 マーク式問題集やマーク模試を解いて、点数だけ確認して復習せずにしていませんか?あるいは、やる気はあるのに、具体的にどう学習していいのかよくわからないと悩んでいませんか?今日は、そんな生徒のために具体的なセンターマーク英語の復習方法を書いてみたいと思います。基本的には、英検などもマークの4択ですから復習は同じようにできると思います。少しでもみなさんのお役に立てれば幸いです。

 ①自己採点の方法 ②センター型マークを学習する順番 ③具体的な学習方法に分けて解説します。やってみようかなと思ったら実践してみてください。もし、合わないと思ったら「そんな復習方法もあるのだなぁ」ぐらいに思って読んでください。

マーク問題の自己採点

 自己採点をする際、問題用紙にチェックした自分の答えと模範解答の配点表を照らし合わせて答え合わせしますよね。間違った問題は正解の番号のところに丸をつけるのではなく、正解の番号の下に小さなアンダーラインなどの印を赤でつけるようにするといいと思います。パッとみたとき、丸で印をつけると間違った問題がみつけにくいからです。

 さて、ここからは配点表の話です。模範解答の配点表は左右に分かれていて、左に大問1ー2、右に大問3-6がついています。配点表には、丸をつける欄がついていますが、1問1問書いてある配点の上にバツをつけていってもいいと思います。その際、配点表には丸をつけないのがポイントです。丸がたくさん並んでいると気持ちいいですが、常にバツを減らすということを頭に入れて毎回採点していきましょう。

センター英語を学習する順番

 センター英語の長文は、比較的短い大問3を完璧にするということから始めるのがおすすめです。大問3は、長文ではないと言われるかもしれませんが、要約の問題は配点の高い大問6とほぼ同じつくりなので大問3の要約問題が解ければ大問6も解けるようになります。順番的には、③→⑥→⑤→④→②→①の順にマスターすると、点数が伸びやすいです。まだ8割未満しか取れないのであれば、解答時間が足りないかもしれませんので、時間内に解き終わらないようなら、この順番に解くと配点の低いところを残して時間切れになるので、この順番で解いてみてください。英語が得意な人は②の文法問題はあまり対策が必要ないでしょう。一番難しいのは整序問題ですね。河合のマーク基礎問題集は余裕がある人はやる価値のある問題集といえるでしょう(この辺のことは、過去の記事にもかいています)。

読解問題の具体的な学習方法

 読解問題は、本文中に選択肢の書き換え部分を見つけるというのがほとんどです。「自分が答えた選択肢はどこの書き換えだと思ったか」を考えていきます。さらに正解をみて、正解はその文章のどこの書き換えになっているかをみます。それを繰り返していくと、だんだんコツがわかります。

 読解問題のつくりは、ほぼ同じです。物語文が大問5、6では出なくなってきたので、演繹的な構成になっているものが多いと考えられます。演繹的とは、まず言いたいことを先にいいます。それからその具体例、結論で締めます。1つのパラグラフ自体がそのような構成になっていますよ。大問4のグラフの問題は、統計や調査資料の読み取り問題なので、設問に「何の調査ですか?」とテーマを聞かれたら最初のパラグラフを見るとたいてい書かれているでしょう。

 ちょうど、英検のライティングも同じような構成で書きます。ここで注意したいのは、起承転結の構成ではないということです。論文の構成は、途中のクライマックス部分で展開を変えて違う結論にしてしまうのはご法度です。間違いなく「はじめの文章は何だったの!」「ここまで読んできたアタシの人生返してよ!」となるでしょうね。

まとめ

 マーク問題は、読解問題の配点が高いです。時間が足りない場合は、配点の高いところから解くこと。自己採点の時、配点表には丸よりもバツをつけてバツの数を減らすようにしていきましょう。読解問題は、演繹的。大事なことは先に言っています。基本は選択肢の言い換え表現を本文中に探すこと。それを意識して読解問題を解き、復習すると点数が伸びますよ。

おすすめ日本文学

若い頃に読んでおきたい日本文学

 若い頃に読むべき本というのは、人生に数回開く本かもしれません。もしかしたら何度か読み返したくなる本が、中高生でもすでに何冊かあるかもしれません。人生に数回開く本は、若い頃に読んで共感し、いつかまたその本を開いた時違った視座からその作品に出会う本ともいえるのではないでしょうか。私が読み返したい日本文学を三つあげるとするなら、村上春樹、福永武彦、三浦綾子です。いずれも、十代の頃に読みました。高校生の頃は芥川も好きでしたし、高橋源一郎は、小説よりもライトな書評が好きで、わりと読みました。しかし、あえて若者におすすめするなら、迷わずこの3人を挙げます。もし、これらの本を読まれたらなぜ若い頃に読んでおきたい作品なのかはわかるんじゃないでしょうか。

村上さんの独特な文体と世界観

 世界的に熱狂的なファンの多い村上春樹の小説は、まだ若い頃は純文学というより中間小説と言われていたと記憶しています。私は初期の作品がとても好きでした。長編もありますが短編もエッセイもとても読みやすく、普段本を読まない人にもおすすめです。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』という初期の長編小説を私は若い頃夢中で読んだ記憶があります。はじめは、2つの物語が交錯していて場面が行ったり来たりして一体どういうことなんだろうと思うんですけど、終盤になるとそれがつながるんです。終わり方もまたいいんですよ。『ノルウェイの森』もいいけどね。

福永武彦は、池澤夏樹のお父さんですよ

 何、池澤夏樹を知らないですと?今すぐ本屋に行きましょう!そして、池澤夏樹と福永武彦の本を買って来ましょう。どちらの作品も素晴らしいです。当然ですが、親子とはいえ、まったく違うタイプの作風です。福永は『草の花』と『忘却の河』が有名。『愛』とか『孤独』とか、私が語ると軽い感じがしますが、重いテーマを美しく描いた作品です。作品はいずれも短く読みやすいです。『忘却の河』から入って他の作品も読むのがおすすめ。

新潮文庫の100冊というキャンペーン商品に入っていることが多い『塩狩峠』

 『塩狩峠』は、高校の読書会の指定図書だったと思います。これは読んだことがある人多いんじゃないでしょうか。『愛』『信仰』『自己犠牲』の話で、実話に基づいて書かれた小説です。あらすじだけ聞くと、道徳的過ぎて拒絶したくなる話ですけど、三浦綾子は導入から30ページで読者の心をがっちり掴んで離さないんですよ。展開が速いですし、筆力がすごい。あっという間に読み終わります。続きが知りたくて夜更かしして読みました。三浦作品の『氷点』は何度も映像化されています。『泥流地帯』もよかった。

 ちなみに『塩狩峠』というと『トロッコ問題』(ウィキペディアにとびます)を思い出します。2歳児の答え(YouTubeにとびます)がエドワード・ゴーリーのブラックユーモアみたいで、不覚にも笑ってしまいました。みなさんならどうします?

まとめ

 またいつか海外文学なども、ご紹介できればと思います。せっかく秋だし読書をしてみると世界が変わるかもしれませんよ。

授業中、ちっちゃい子を泣かしたことがあったなぁという話

 もう随分前の話です。私が塾講師になってまだ数ヶ月の頃、夏期講習に来た小学3年生ぐらいの、とても賢い、とてもしっかりした女の子に国語を教えたことがありました。まだ、テレビではいわゆる「おバカタレント」が人気で、時の首相が「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだというのが話題になっていた平和な時代。宿題をしてこなかった生徒の反省文に、「宿題を忘れました。それは、テレビを観ていたからです。それにしても最近のテレビは面白い…」と綴っていたこともありました(それはそれで読み物としては面白かったので、塾長と一緒に彼の文章力を褒めて終わる結果になりましたが)。そんな頃、小学生の女の子を私は泣かしてしまうということをしでかしてしまいました。やっちまったなー。

私の誤解

 女の子は、その日ご機嫌で塾に来ていました。そして、いつも通りテキストを広げて一所懸命文章を読んでいました。答えを書いている間、隣の空手部の英語をみていたのですが、まだ中3で部活が終わったばかりで、ちょっと目を離すと適当に気を抜いてしまうので、厳しく言ったり大きな声を出したりしていたのでした。

 女の子が解き終わったので、サラサラっと目を通して、丸バツをつけ、間違った箇所はどのように間違っているのか、出題者の意図などを説明して(国語だったので)「ここはこのように読み解いてください」と言って、説明が終わってまた隣の男子生徒を、結構きつく注意したりしていたのです。すると、しばらくして突然授業が終わるか終わらないかぐらいの頃に、女の子が泣き出したのです。うーーん、小さい子は隣で厳しく叱ったりしたのでびっくりして泣いたのだと思いました。その塾は、小・中学生が多く、みんな比較的近所から通う補習塾だったのでちょっとお姉さんぐらいの小学生が寄ってきて、「大丈夫?どうしたの?」なんて聞いて慰めてくれていました。塾長さんも、新卒の優しい男性だったので、次の授業の間、女の子とお話をしてくれていました(本当にすまないねぇ)。「申し訳なかった。ちょっと横で叱りすぎた。でも、中3だしなぁ」なんて思っていましたが、彼女はそんなことで泣いていたのではなかったのだと後で聞かされることになりました。それは、意外な理由だったのです。

彼女が泣いていた理由

 単純に、悔しかったのです。彼女は、私が何かしたことに対して泣いていたのではありませんでした。学習塾のテキストは学校で使っている教材よりもレベルの高いものが多く、普段学校で解いている問題はきっとまだ小学3年生ぐらいだとよほどのことがない限りみんな満点をとれるような作りになっていたのだと思います。だから、初めて来た夏期講習で難しいテキストを解いて、「バツ、バツ、サンカク…」と、丸以外のものがテキストにつけられて、びっくりしたのと悔しかったのとで思わず涙が止まらなくなったようなのです。でも、さすがに指示語などの問題は、正確に把握しないといけませんからやはり採点を変えるわけにはいきません。しかしその翌日、彼女はまたご機嫌で塾に来て当たり前のように授業を受けていました。

できる子は負けん気が強い

 そういう子は、伸びます。たとえば普段は冗談ばかり言っていた高校生が、部活最後の試合で負けた日に、ほとんど口も利けないほどショックを受けて、とても悔しがっていたというのを思い出します。すごく頭の切れる生徒でした。何かあってすぐに自信を失って諦めてしまうより、悔しい思いを隠さずに表現し、同じ間違いを繰り返さないように努力できる粘り強い子が合格を勝ち取れるのだと思います。

 今日は、「粘り強く継続しつづけること」が書かれた記事をたまたま目にしたので、以前塾であったことを思い出して、「あの粘り強い子はどうしているのだろう」と思って、ブログに書いてみました。

粘り強く続けられることは本当に大事なんだ。

 

 

「おじさん系雑誌」のオンライン版で学ぶ、効率よく学習する方法

 私が勝手に「おじさん系雑誌」と呼んでいる雑誌には、若者や受験生などに役に立つ情報が満載であったりします。中でも効率よく学ぶ学習法などがよく載っているのは、ビジネスマンは資格を取得したり、短い時間で効率よく仕事をするためにそういった雑誌を読むからなんだと思います。『東洋経済』や『プレジデント』などは、銀行や歯医者さんの待合室などにも置いてありますが、受験生がそうしょっちゅう銀行や歯医者さんに入り浸っているとも思えないので、オンライン版をときどき読むことをお勧めします。最近、長時間勉強しているのに、定着しないという悩みを聞きました。「もっと効率よく学習できたら」ということですよね。それについて、「おじさん系」では、どのように書かれているか、ちょっと調べてみました。

5分で覚える人と徹夜してもダメな人の違い

 なかなか刺激的なタイトルですが、プレジデントオンラインの記事です。これは、7回読みで有名な東大首席卒業の山口真由さんのインタビューをまとめたものです。

 「無理をする勉強法は、最も効率の悪いやり方です。人の記憶というのは、脳に負荷をかけて無理やり詰め込んでも定着しない」しっかり覚えたいなら、「短時間の覚える作業を、日を置いて数回繰り返す」「覚える情報を何らかの個人的な体験と結びつけて覚えやすくする」ということが書かれています。

 やはり、無理をして徹夜しても作業しているだけで頭は働かないんでしょうね。

物覚えがいいのは、早歩きの人

 これは「東洋経済」の記事。この記事では、持久力系トレーニングをしたグループの海馬が大きくなっていたと書かれています。それから、これを言ってしまえば身も蓋もないんですけど、「1日10時間勉強してもダメな子」の本質的理由ーひたすら「書いて覚える」の危険なワナという、なかなか辛辣なタイトルの記事。これも東洋経済に書かれています。そこで言われているのが、間違った勉強法は

1.テストに出ない問題集をやっている(これはいかーん)

2.問題集を1回しかやっていない(間に合わない人にありがち)

3.新出単語や新出漢字を覚えることから試験勉強を始める(え?だめなの?)

4.問題集をたくさんやろうとする(学習塾や学校が1冊を徹底的にとよく言っているのを聞きますね。ようするに、これも反復です)

5.いきなり覚えようとする(全体を把握して構造化しろと)

まとめ

 だいたい世間一般でいわれていることと大差はないのですが、キーワードは「反復」「運動」「集中」ですね。うすうす気づいていたけど、運動しないと覚えられないというのは、ある。

 

中学生に「アナタハ神ヲ、信ジマスカ~?」と聞かれました

 あなたは神を信じますか?もし、そう聞かれたらどう答えますか?私は、神を信じません。そう答えました。私は神を信じませんが、神的な力が働いていて、科学では説明できない現象があるということは信じます。信心深くはないですし、非科学的だと思うけれど、「そんなことをすればバチが当たる」というのは、なんとなく感じます。例えば、お墓を傷つけたり、汚したりしても、「バチが当たる」ということは非科学的であると思いますが、どこかで「バチが当たる」気がするし、気持ち悪いのでそんなことをする気にはならないと答えました。

幽霊は信じますか?という質問に対して

 「幽霊はいないと思いますが、幽霊を見たという人は本当に見たのだと思います」と答えました。ちょっと不思議そうだったので、こう付け加えました。「自分は幽霊はいると思わないし見たことがないけど、幽霊を見たという人は嘘をついているのではなく、実際に見ているのでしょう。見た、見ないというのは、実際人間の脳が処理するものなので、幻覚や幻聴などは、本人は見えていると感じているはずですし、聞こえていると感じているのでしょうから。だから、『私は幽霊を見た』という人がいたら、『ああ、この人は本当に幽霊を見たんだろうなぁ』って思うよ」と、それに関しては生徒は納得したとも納得しなかったとも取れるような曖昧な反応だったのですが、さらに、質問は続きます。

それじゃあ、UFOは?

 UFOを見たという人は、きっと何かを見たんでしょうけど、宇宙人が乗ってきていて地球に入り込んでいるとかいうことはないんじゃないかと私は思いますと答えました。 昔、科学の先生が「人間と同レベルの文明を持った生物がUFOに乗ってこられるぐらいの距離にいるとは考えにくい。それよりも遠い場所からそのUFOが来たと仮定すると相当なスピードで飛んできているはずで、もし仮に飛んできたと仮定すると、そのスピードに耐えうる乗り物に乗ってこなければならないし、その圧力を受けて飛んできた場合、地球に降りた時には、急に釣り上げられた深海魚みたいに内臓が飛び出したりしているのではないか」と聞きましたとお伝えしました。それでも、「僕たちが想像もできないような力があるかもしれないじゃないですか」というので、「実際見たっていうことが証明されたわけではないし、今のところ目撃情報に信憑性がないというだけであって、宇宙のどこかには存在しているかもしれないけれど、見たと言っている人や写っている写真は、何か別のものである可能性が高いのでは?」と、だんだん投げやりというか、同じような答えになってきました。信じないけど見た人のことは否定しない。そういえば、神を信じないって外国人には言わないほうがいいって聞いたことないですか?

「外国ではあまり神を信じていないと言わないほうがいい」という教えを守った結果…

 質問攻めに合いました(笑)。これは、語学の先生から「無神論者というのはあまりヨーロッパでは理解されないと思いますので、説明を求められるからきちんと説明できないのであれば、ある宗教に所属はしているが信じていないと言ったらあまり説明の必要がないのではないか」と言われたからです。外国人に、神を信じるか本当に聞かれて「神道の信者だよ。信じてないけど」と答えたら「神道ってどんな宗教?」「汎神論」「汎神論ってどんなの?」「八百万の神がいるってことじゃないの?」「八百万の神をもっと詳しく」「例えば、一つのものに一つの神様が宿っていることじゃない。例えば、鉛筆には鉛筆の神様。トイレにはトイレの神様がいるんやで(テキトー)」と、この辺の話になるとお互いに「この先この続きは要る?」という感じになってしまい、話題が変わってしまいました。

 そのあと、その人に聞いたんですよ「あなたはクリスチャンなの?」と。そしたら「いいや、神様なんか信じないよ」と当たり前のように言われました。そして、その兄にも聞いてみましたが、そこでも「信じない」と言われてしまいました。

 時代が変わったのか、その兄弟が特殊だったのか。特別に信仰してない人は「神は信じない」でいいと思います。

みなさんなら、どう答えますか?

 

富士山滑落おじさんのこととかインフルエンサーとかについて考えてみました

 今、大人気の動画配信ですが、最近ニコ生配信をしていた『富士山滑落おじさん』が遺体で発見され、話題になっていました。子どもの憧れユーチューバーも注目を集めるには話題性のあることや、人と違うことをしなければ誰の目にもとまりません。『数』は『力』であり、それは商売に通じるところでもあります。『滑落おじさん』が目立ちたくてやったことなのかどうかはわかりませんが、目立ちたくなくても『数』を増やそうと思えば目立たなければならないということに気づきます。

 塾を運営する私も、あまり人前にでるようなことが好きではありませんが、結局人を集めなければならないので、人に認知されるために自分の顔を出して広告を打ち、他人より目立たなければならないと考えます。事業者の友人は、2つ選択肢があれば迷わず「目立つほう」と答えます。看板の役割は、その看板の指す場所を際立たせることですが、看板屋さんはいいます。「おしゃれは目立たない」と。良し悪しはともかく、これからの時代、人の注目を集めたければ、なりふり構わず目立たなければならないのです。たとえ、それがカッコ悪くても。

過激になっていく動画配信とバズって儲ける手法

 動画を見てもらうためにボヤを起こしてしまう配信者や過激発言で注目を浴びたい政治家。登録者数の多いインフルエンサーに絡んでフォロワー数を伸ばす弱小ユーチューバーなど、世間をお騒がせすることで注目を浴びることは、一気に支持を集めるのにもってこいの手法だと思います。熱狂的なファンがいる人には、必ずアンチがいます。インフルエンサーに徹底的に擦り寄っていくか、徹底的に叩くことで、かなり効果的にまだ知られていない自分を売り込むことができます。将来的に動画配信をして遊んで暮らしたいと思っているキッズたちは、動画は『目立つ』ために、かなりの時間と他人から批判を浴びることに耐えられるだけの鋼のメンタルが必要だということを忘れてはならないと思います。

N国党も、もはや何がしたいのかわからなくなってきている

 私は、あまり政治的な人間ではないので、N国党についてどうこう思っていたわけではないのですが、最近ちょっと方向性を見失っているような気がします。NHKのスクランブル化はもうどうでもよくなっちゃったんでしょうか。N国党に対しても、早くからするどい切り口で批判してきたユーチューバーで経営コンサルタントのえらてんさんも、最近ではメンタリストに執拗に絡んでおられ、かなり過激な強い口調でさらにいろんな人を叩いていらっしゃる印象。でも、そんなに過激な発言をして攻撃したりすると普通なら消耗してしまうところですが、おそらくそんなことは承知の上であえてやっていることだと思います。エンターテインメントとして「あはは、またやっとるわ」ぐらいに眺めておくのが正しい動画の楽しみ方なんでしょうね。ユーチューバーになりたいキッズの方々も、どこの誰かもわからん人に絡まれた時に平気でいられるかどうかよく考えた方がいいでしょう。

結局、人気商売というのは「その人らしさ」が支持されると伸びる

 「サザン」の桑田佳祐は、何を歌っても「サザン」っぽく、野沢雅子は何を語っても「オラ、悟空」っぽく、見てすぐに「ああ、あの人だ」「あの人ならあんな感じ」「あの人ならきっとこういうんだろうな」と想像できるぐらい、その人の独特な世界観を持っています。それがあれば、過激なことをする必要はないんでしょうけど。

 それでも、あまりにも数を追いすぎると過激な方向に行ってしまうんでしょうか。それぐらい、注目を引くというのは難しいことなんです。誰も死なない(もちろん本人も)、誰も傷つけないように動画を配信することができるなら、動画配信というのは、宣伝効果の高いツールだと思います。決して楽な商売だとも楽しい商売だとも私には思えませんね。