児童生徒のひきこもりについて調べてみようかと思っていたら、ネット上では中高年の引きこもりが深刻だという内容で溢れていました。もう30年も引きこもっている人もいれば、年を取ってから引きこもった人もいらっしゃるようです。「趣味では外出する」という、「それは全然引きこもってないと思うよ」というレベルまであって、引きこもりの線引きも難しい気がします。疑問に思ったのは、「引きこもりをどうやって社会復帰させるか」という考え方を調査している内閣府が押し付けている感じがするところですね。引きこもって働けない人たちを無理矢理外に引っ張り出そうという考え方そのものがもう古くなってきているのではないかと私は思うのですが。
学校にせよ職場にせよ、外向きの性格でなかったり、ちょっと他人と違う外見や考え方を持っていたら不利であることに違いありません。不利な場所で戦うのは、本人にとって何の得にもなりません。搾取する側、人を牛耳る側は引きこもっている人が外に出た方が都合がいいのでしょうけど。もう、その考え方も機械が活躍する時代になれば終焉を迎えるかもしれませんね。「戦い方を間違うな」ということでしょう。
引きこもりは個性なのではないかと思うのですよ。外交的な人と内向的な人がいて、内向的な人はあまり外に出たがらなかったり、外に出たら傷つけられてひたすら我慢したり。たまたま、外で働くのが苦手なだけ。合わせるのが苦手なだけ。ただ、それだけなんじゃないかと。
引きこもっても稼げる術を
今は、インターネットも発達していて何かひとつ抜きん出ている能力があれば、それを武器にネットを使って稼ぐこともできるのではないかと思います。技術と材料があれば、家から一歩も出ずに物を作ることもできるし、インターネット経由で売りさばくことも簡単にできます。ノウハウを学ぶことも書籍を買うことも借りることも容易にできるのではないでしょうか。引きこもりの人たちというのは、もともと社会に出て働いて我慢して疲れ果てた結果引きこもっているのに、また疲れる場所に引っ張り出すのが果たしていいのでしょうか。外に出て外で働くのが絶対いいのだと誰が決めたのでしょう。マルクスは資本主義を「働くものは儲からず、儲かるものは働かない」といいました。資本主義が『競争』を基本原則としている以上、強者と弱者に別れていきます。弱者は強者と戦うから弱者であって、強みを生かせる別の場所で戦う必要があるのではないかと思うのです。集団の中にあって負け続ける人は発想を変えて勝てる場所にさっさと移った方が健全なんじゃないでしょうかね。
学生である間に自分の売りになるものを身につけよう
結果的に、稼げるようになるには、一日中夢中になれるものを見つけることが大事です。別に、夢みたいなことを言っているのではありません。今は大抵のものは安く手に入る世の中になりましたし、ちょっとのことでは人は満足しなくなりました。だからこそ、自分にしかできない何かを見つけて才能を伸ばしていく必要があるのです。好きなことと得意なことが一致すればいいのですが、なかなか好きなことでも上手に出来ない場合があります。そんな時は、好きなことよりまずは得意なことを仕事にした方がいいのです。嫌いではない得意な分野で稼ぎ、好きなことを他人より長期間続けることによって好きなことで稼げるようになったらいいのではないのかな。弱点を克服しようとして、時間ばかり無駄に使って得意なことまでダメにしないことが、これからの時代必要なんだと思いますよ。
まとめ
引きこもりは家で楽しくスキルを磨く。それでいいと思うよ。