つらい思いをすること=努力ではない

 眠いのに我慢して遅くまで起きて宿題することとか、誰かに何かを言われて傷ついて勉強がおろそかになってしまうこととか、本人は「こんなにつらい思いをしている自分は我慢強い。えらい」と思うでしょう、でも、それはあまり意味のない努力です。頭が働かないほど眠いのに宿題が終わらないからだらだら起きてやるぐらいなら、答えを写して早く寝た方がいい。学校はみんなのレベルに合った宿題を出すことができません。そんなに時間がかかる宿題はそもそもレベルが合っていませんから。そして、誰かに傷つけられても、それに振り回されて何も手に付かないのは時間の無駄。傷つけた人はきっと何とも思っていないでしょう。傷つけられることに耐えるのが努力ではなく、傷つけられたことを忘れるのが努力の健全なあり方だと思います。

 なぜなら、それは「自分のためになるから」です。自分のための努力が将来の自分を救い、乗り越えられた自分を強くするのだと思います。

言われた通りにやることは大事。でも、それは自分のためになること?

 先生が言ったことや親が言ったことに従うことは大事です。それは、その道の専門の人や人生経験豊富な大人が良かれと思って言っていることだから。しかし、人間は完璧ではないですし、自分には当てはまらないことってあると思うんです。人それぞれ、個性があって誰一人同じではないですし、先生や親世代とは生きている時代にズレがあります。ちょっと古い時代の常識は今の常識と重なる部分と重ならない部分があります。では、どうすればいいのか。考えるのです。自分の頭で考えて自分の考えで行動することです。他人を変えることはできませんから、自分の考え方を変えるのです。難しいけどね。他の人に従うことは楽ですけど、自分のために言ってくれたから従うべきと本気で思っていますか?自分のためを思ってくれていると考えるから苦しいのなら、それは自分のために思ってくれているのではないということだと思いますよ。相手は罪悪感を植え付けて支配しようとしているだけかもしれません。そういうのは、「依存」だと思います。「自由」とは案外「不自由」なのかもしれません。「自由」を勝ち取るには、ちょっとだけ「勇気」が必要だからね。

「努力はレッドオーシャン」

 「レッドオーシャン」という言葉は、もともと経営戦略に関する用語なのであまり中高生ぐらいの人たちには馴染みのない言葉だと思います。「レッドオーシャン」とは、血で血を洗う争いで赤く染まった海のことを意味します。要するに、競合が多い、みんながやっていることで争っても勝てないということなんです。「がむしゃらにやる」ということは素晴らしいんですけど、やり方がまずかったりみんなと同じようにやっていては勝てないっていうことです。

 「努力して上を目指しましょうというのを美徳とされるけど、一所懸命やることはレッドオーシャンですよ」みたいなことを落合陽一氏も言っています。そう、よく考えて効率よく学んだり視点を変える必要があるのです。たとえば、勝てない場所では(みんながやっているようにやっていたって)勝てないということ。効率よく学ぶことは、先生が言ったこと、親が言ったこと、友達が言ったことを考えなしにやることではありません。自分の頭で考えて、自分に合った方法でやるのです。そのためには、ある程度自分でいろいろやってみることが大事なんです。

 結局、なんだかんだで自分でやってみないといけないんですけど、それは「自分に合った方法を探すこと」「自分のための生き方を探すこと」にあてられるべきで、何も考えずにだらだらやることに時間を割くことではないんですよね。

 結局、努力だけでは評価されないのです。「結果がすべて」それが受験であり、世の中ってもんなんじゃないでしょうか。

 

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