中学生に「アナタハ神ヲ、信ジマスカ~?」と聞かれました

 あなたは神を信じますか?もし、そう聞かれたらどう答えますか?私は、神を信じません。そう答えました。私は神を信じませんが、神的な力が働いていて、科学では説明できない現象があるということは信じます。信心深くはないですし、非科学的だと思うけれど、「そんなことをすればバチが当たる」というのは、なんとなく感じます。例えば、お墓を傷つけたり、汚したりしても、「バチが当たる」ということは非科学的であると思いますが、どこかで「バチが当たる」気がするし、気持ち悪いのでそんなことをする気にはならないと答えました。

幽霊は信じますか?という質問に対して

 「幽霊はいないと思いますが、幽霊を見たという人は本当に見たのだと思います」と答えました。ちょっと不思議そうだったので、こう付け加えました。「自分は幽霊はいると思わないし見たことがないけど、幽霊を見たという人は嘘をついているのではなく、実際に見ているのでしょう。見た、見ないというのは、実際人間の脳が処理するものなので、幻覚や幻聴などは、本人は見えていると感じているはずですし、聞こえていると感じているのでしょうから。だから、『私は幽霊を見た』という人がいたら、『ああ、この人は本当に幽霊を見たんだろうなぁ』って思うよ」と、それに関しては生徒は納得したとも納得しなかったとも取れるような曖昧な反応だったのですが、さらに、質問は続きます。

それじゃあ、UFOは?

 UFOを見たという人は、きっと何かを見たんでしょうけど、宇宙人が乗ってきていて地球に入り込んでいるとかいうことはないんじゃないかと私は思いますと答えました。 昔、科学の先生が「人間と同レベルの文明を持った生物がUFOに乗ってこられるぐらいの距離にいるとは考えにくい。それよりも遠い場所からそのUFOが来たと仮定すると相当なスピードで飛んできているはずで、もし仮に飛んできたと仮定すると、そのスピードに耐えうる乗り物に乗ってこなければならないし、その圧力を受けて飛んできた場合、地球に降りた時には、急に釣り上げられた深海魚みたいに内臓が飛び出したりしているのではないか」と聞きましたとお伝えしました。それでも、「僕たちが想像もできないような力があるかもしれないじゃないですか」というので、「実際見たっていうことが証明されたわけではないし、今のところ目撃情報に信憑性がないというだけであって、宇宙のどこかには存在しているかもしれないけれど、見たと言っている人や写っている写真は、何か別のものである可能性が高いのでは?」と、だんだん投げやりというか、同じような答えになってきました。信じないけど見た人のことは否定しない。そういえば、神を信じないって外国人には言わないほうがいいって聞いたことないですか?

「外国ではあまり神を信じていないと言わないほうがいい」という教えを守った結果…

 質問攻めに合いました(笑)。これは、語学の先生から「無神論者というのはあまりヨーロッパでは理解されないと思いますので、説明を求められるからきちんと説明できないのであれば、ある宗教に所属はしているが信じていないと言ったらあまり説明の必要がないのではないか」と言われたからです。外国人に、神を信じるか本当に聞かれて「神道の信者だよ。信じてないけど」と答えたら「神道ってどんな宗教?」「汎神論」「汎神論ってどんなの?」「八百万の神がいるってことじゃないの?」「八百万の神をもっと詳しく」「例えば、一つのものに一つの神様が宿っていることじゃない。例えば、鉛筆には鉛筆の神様。トイレにはトイレの神様がいるんやで(テキトー)」と、この辺の話になるとお互いに「この先この続きは要る?」という感じになってしまい、話題が変わってしまいました。

 そのあと、その人に聞いたんですよ「あなたはクリスチャンなの?」と。そしたら「いいや、神様なんか信じないよ」と当たり前のように言われました。そして、その兄にも聞いてみましたが、そこでも「信じない」と言われてしまいました。

 時代が変わったのか、その兄弟が特殊だったのか。特別に信仰してない人は「神は信じない」でいいと思います。

みなさんなら、どう答えますか?

 

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